詩人 吉野弘

代表作について

 現代を代表する日本詩人、吉野弘さんの作品は「虹の足」が2学期の最初に習う教材として掲載されている。内容は単純で、夏休み明けの生徒たちにも解りやすい作品になっている。「虹の足」が出現しても、遠くの人からは見えて、近くの人間には見えないように、私たちも自分では気づけない幸せの中で生きている、というのが主題だ。今回は、この作品だけでなく、吉野弘さんの好きな詩を紹介していこうと思う。

 吉野弘さんの詩はとてもとても解りやすい。身近な感覚から始まって、当たり前のなかに潜んでいる深い人間同士の繋がりに気づかせてくれる作品が多い。そして、それがあまり押しつけがましくないのも好きだ。

 まず、好きな詩に「祝婚歌」がある。少し調べたところ、この歌は作者曰く「民謡」みたいなもので、著作権など気にせずに、結婚式などで使ってもよいそうだ。確かにこの詩はぜひ大事な人の結婚式に送りたくなる。私も生徒たちに「いつか君たちが結婚する時は、この詩を送るね。」と適当なことを言っている。ちなみに「それより先生が早く結婚してください。」と、返されるまでがお決まりのくだりだ(笑)。(「結婚=幸せ」ではないぞ、と説明するが、生徒たちからは負け惜しみにしか映らないだろう。)

 この「祝婚歌」の良いところは最後の部分だと思う。大抵、詩が説教臭くなるかどうかを決めるのは、最後の終わり方にかかっていると思っている。読んだ後に気恥しくなるのは詩としては失敗だ。この詩は一見、気恥しくなりそうな主題を扱いながらも、読後は素直に胸がポカポカと温かくなる。

「黙っていてもふたりには わかるのであってほしい」と、締めくくられるこの詩。

結婚をしていなくても、なんとなく言葉にしなくても、あ、いまこの人と感動を共有している、と感じる時がある。そういう時は言葉にできないような嬉しさや、照れるようなむず痒さを感じる。この詩を読むと、その感覚が沸き起こって温かい気持ちになれる。

「ほしい」という作者の願いで終わっているのが良い。それが難しいことだと知りつつも、同じように素直な気持ちで願うことができる。

 この詩を、もし、結婚式などで朗読されるか、手紙などでもらって、初めて知ったとしたら、もう、たまらないのではないだろうか。結婚後、生活に疲れて、喧嘩したとしても、きっと送られた時の胸の温かさは消えないだろう。それは、送る方も同じだ。誰かの結婚を祝うというのは嬉しいし、心が温かくなるものだ。祝われる方も、祝う方も温かさを共有できる。そんな素敵な詩だと思う。それこそ、私もいつか誰かにサプライズで送りたいな、と思っているのだが、なんとなく、まだ自分だけで温めておきたいな、と思っている。(これだからきっと結婚というものにたどり着かないのだろう笑)

「生命は」という詩も好きだ。これは「虹の足」と一緒に生徒たちに紹介する。人間は独りで生きているようで、決してそんなことはない、ということ。お互いが影響をしあって、支え合って生きている、ということを歌っているのだが、まあ、これだけならよくある主題の詩だ。しかし、この詩の素晴らしいところは、それだけが主題でなくて、そうであること自体に、人間同士は「無関心でいられる間柄」であり、「うとましく思うことさえも許されている間柄」だと言っている点だ。当然、意識してそれぞれの欠点を補っている人間関係もある。けれども、多くの場合がそうではない。無意識だとしてもそこに「いる」だけで、お互いが多かれ少なかれ影響をもらって生きている。しかし、それを知る必要はないし、一方的に、時には互いに嫌いあっていてもよい。それでも、その「関係」は人間同士を豊かなものへと育てていく。それを説いていることにこの詩の素晴らしさがある。

 私は高校生の時、人間関係というのが苦手であった。(今もだが。)他人と話したいと思わなかったし、同級生たちが楽しそうに話しているのが不思議だった。どうすればそんな風に話せるのかわからなかった。だから、自分はとても影が薄い存在だと思っていたし、クラスの中でいてもいなくてもよい存在だと思っていた。

 しかし、卒業して15年も経ってから、特に話した覚えもない同級生から、「騒がしいクラスだったけど、裏表のない○○がいるのは、なんか安心だった。」と言われて心底驚いた。自分が裏表なく振舞っていた覚えもないし、そんな風に思われていたとは考えもしなかった。しかし、どうやら向こうはそう思っていたらしい。これがきっかけで、私はやっと、高校時代に自分の居場所があったこと、それなりに影響を与え、自分ももらいながら生きていたことを実感した。

 どうやら、私と同じで「自分なんて」と、居場所を見つけられない生徒は今もいるようだ。特別仲が良い子がいなくても、クラス委員を受け持っていなくても、ちゃんと「いる」だけで、居場所はあるということ。影響をしっかり与えて、他人から勝手に救われ、同時に他人を勝手に元気づけていること。このことは詩を紹介するときに伝えていけたらいいな、と思う。

 話を戻すが、この詩は、その重大さに意識的に気付け、周りに感謝しろ、という詩ではなく、気づかなくていい、それがそもそも許されているのが、人間であり、世界だ、という詩だ。読むと、人間と世界の豊かさ、優しさに気付かせてくれる。またそれを小さな生き物たちや、風といった自然を使って表現しているのも、とても優しい。

 あとは、代表作の「I was born」。これも紹介したことがあるが、中学生はあまりピンと来ていなかった。いや、私も読み返したが、「よくできた詩だな!!」という感動だけが前に来て、何をどう語ればいいのか、困ってしまう詩だ(笑)。

「I was born ― 私は生まれさせられる」

 きっと、英語を母語とする人は特に疑問に思わないだろう。「受身」という文法を通して習う日本語話者だから気づいた文法的発見だ。この世に産まれたのは「自分の意志ではない」という考えは、確かにそうなのだろう。たまに、実は産まれる前に選択権が与えられて、人はみな産まれることを選んで、この世に産まれたという話も聞くが、果たしてどうなのであろう。

 その真偽はともあれ、実際に覚えていないのだから、勝手に産まれさせられた、といってもきっと間違いではない。だったら、なぜ周りに感謝して生きなければならないのか。出来上がった社会で、その規則にならって、肩身の狭い思いをしながら生きなければならないのか。こんな世界に産んでほしいと頼んだ覚えはない。そっちの都合で勝手に産んだのだから、勝手に生きるし、勝手に死んでなにが悪い。と、いうこともできる。

 けれどもこの詩は、私たちは母体に大きな負担をかけて産まれたということを、もう一度考えさせてくれる詩だ。「勝手に」というが、ボタン一つでポン! と、私たちが出現したわけではない。これまた私には出産の経験がないので、あまり語れることはないのだが、子供を産むということは、肉体的にも、精神的にも、非常に大きな覚悟と苦労が必要だと思う。(近頃、沖田×華さんの漫画『透明なゆりかご』を読んだので余計にそう思う。)そこには切っても切れない糸のようなものがある。これは別に「親子関係」という話ではないし、親を大事にしろ、という話でもない。途中で「蜉蝣」の話が示唆するように、どんな小さな生き物でも、「独り」ということは絶対にないということ。「目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみ」の一部として、繋がっている存在だということ。前で紹介した「生命は」が、空間的な繋がりを書いたのに対して、「I was born」は時間的な繋がりを書いた作品だ。

 これが言葉で過不足なく表現されているのもすごい。分類するなら叙情詩なのだが、ちゃんと情景が浮かぶ書き方だ。しかもゆっくりと、淡々と景色が流れていく。その様子が「命」の「どうしようもなさ」を表すのにぴったりだ。命同士の繋がりは、煩わしい時もあるし、悲しい時もある。独りで勝手に生きていく方が楽だろう。しかし、そもそも「命」は繋がっているもので、そうでないと存在することができないのだから、無視することは出来ないし、消し去ることもできない。私たちは産まれた瞬間から、痛みや覚悟、そして様々な形の愛情を否応なしに背負っている。拒否しようにも、身体と一緒に産み落される。それは本文中で「せつなげだね」と表せされているように、もう、どうしようもできない。産まれた時から死へと向かい、新しい命を育てる(子どもを産むということだけでなく!)、大きな生命の一部として、私たちはこの瞬間を生きている。感情的には絶対に書けない主題の詩だ。淡々と「せつなげ」に詩は流れていく。

 詩というものは、言葉では語れないものを書くものだから、それを言葉で解説しようなんて方が間違いなのかも知れない(笑)。けれども、改めて吉野弘さんの詩は、確かに存在する人の繋がりを描いていること。それを押し付けるのではなく、言葉でそっと世界を開いて、命の切なさ、豊かさ、優しさを教えてくれていることが解った。この詩を知ったから、こう考えて、このように行動しよう、というよりは「そうなんだ」と、すんなり受け止められる詩だ。

 本当に代表作しか紹介できなかったが、吉野弘さんにはもっと単純におもしろい詩もたくさんある。竹を高層ビルに例えた「竹」という短い詩も好きだ。最後のオチにニヤついてしまう。他にも言葉遊びも豊富で、「韓国語で」という詩もある。私たちが小学生の最初に習う簡単な朝鮮語を使った言葉遊びだが、こんな風に詩にできるとは面白い。なるほど、と思う。(ちなみに私の持っている「吉野弘詩集」は韓国語表記が間違っている。こういうのに気づいた時、朝鮮語をならってきたことに少し誇りを感じたりする。笑)面白い詩がたくさんあるので、いろいろ生徒たちにも紹介していきたい。

 さて、次は順番でいうと、ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」になるのですが……。難しいですね(笑)。雑記か、本の感想文を挟みたいなと思います。

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