井上ひさし「ナイン」①

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井上ひさし「ナイン」①

「新道の変化」

高校1年生の授業を受け持つことがきまり、「ナイン」を初めて読んだ時、恥ずかしいことに私は号泣してしまった(笑)。そして、今でもまた読み返すと自然と涙が出てしまう。生徒たちの前で通読するときも、最後らへんに声を詰まらせてしまい、みんなにおかしな顔をされた(笑)。読んだら必ず泣いてしまう作品、というのは他にもいくつかあるが、中1から高3までの教科書の中だとこの「ナイン」だけである。それだけ名作だと思う。なぜこの作品を読むと泣けるのか、それを考えていきたい。

舞台は東京四谷駅にある「新道」。主人公である「わたし」は十八年前に三年間ここの畳屋で下宿をしていた。「東京五輪が開かれた年」と言っているので、1964年から1967年までを新道で過ごした。そして大体、十八年後にまた畳屋を訪れたところから話が始まる。

まずこの十八年間で起こった「新道」の変化が、作品のポイントになってくる。昔の新道は「自足していた」とある。

「たいていの日用品は新道のなかにある店屋で充分に間に合っており、それらの店屋はまた新道に住む人たちだけを相手にして、とにかく暮らしが立っていた。新道はささやかにではあるが、しっかりと自給自足しており、そこで小路全体に自信のようなものがみなぎっていた。」

 実際に新道に行ったことがないが、一つの商店街のような通りだったのだろうと想像ができる。豆腐屋、ガラス店、お惣菜屋、ビリヤード屋、という風に、衣食住と娯楽がすべてまかなえる場所だった。しかし、十八年間で「飲み屋に食べ物屋に喫茶店のどれかに限られてしまい、客を迎えるだけの、厚化粧だが、なんだか素っ気のない固持に化けてしまった」。

 この変化には「高度経済成長期」が関連している。工業化が進み、大量生産、大量消費の時代へと日本は大躍進をとげていく。東京五輪、大阪万博はその象徴で、海外からの観光客も一気に増えて行き、サービス業も盛んになった。

 これによって人の日本の「職種」がガラリと変わった。新道にもたくさんの大きな会社が立ち並ぶ。「新道少年野球団」だった少年たちは、「ガラス店の忠くん、豆腐屋の常雄、用品屋の明彦、お惣菜屋の洋一……」と、自分の店を持っていた。しかし、彼らは大きくなる頃、ほとんどの親たちが店を売ってしまい、新道を出て行ってしまった。新道の地価があがり「狭い土地でも、処分すれば郊外に家を建てたうえ、びっくりするほどのお釣りがかえってくる」からだ。そして少年たちは「会社員、ホテルのコック、コンピューターの技師……」などになっている。彼らは自分の店を持たない。もう「○○の店の誰々」と呼ばれることのない、雇われ人になっている。

 私はこの時代に暮らしてはいないが、昭和生まれなので、平成、令和にかけても、このような変化が急速に起こっていることは肌感覚でわかる。私の地域にも有名な「商店街」がある。そこでは、私が幼い頃、祖母とよく連れ立って行き、だし巻きや、お刺身、漬物などを買っていた。しかし、二十年たった今では完全に観光客向けになってしまっている。欧米や中国、韓国からの観光客で連日ごった返しており、とても老人が幼い子を連れていけるような場所ではなくなってしまった。売られているものも、家で食べるお惣菜から、その場で観光客が買い食いして食べられる串型のものが主流になっていった。(シャッター街にならなかっただけマシなのかもしれないが。)

また、近所には「氷屋のおばちゃん」がいたし「散髪屋のおじさん」「電気屋のおじさん」「仕出し屋のおばさん」「喫茶店のおばさん」などがいた。会えば挨拶をするし、お使いにもいく。また家に誰もいないときはお店の前で遊ばせてもらった。なんとなく近所に一体感があった。けれども高齢化と共に店は全てたたまれてしまった。そして周りには飲み屋、コンビニ、カラオケ、チェーンの焼肉店、などが新しくできた。そこには「○○のおじさん」はいない。アルバイトや雇われの人たちはすぐに変わっていく。

 昔はどこの町にも、○○屋さんがあった。八百屋さん、魚屋さん、豆腐屋さん、電気屋さん……。みんながその町のなかで自分たちの生活を送っていた。「餅は餅屋」という言葉があるように、その店だけの技術を持ち、プロフェッショナルとして町社会を動かしていた。しかし、それに代わるコンビニやスーパー、大型ショッピングモールが建てられて、私たちの生活は一変した。

 この時代の流れによる感覚の違いを高校生に伝えるのはむずかしい。けれども「商店街」に行くかと尋ねると、行かないと答える。買い物はどこでするのか?と訊くと、イオンモールなどの大型のショッピングモールという答えが返ってくる。なぜ商店街にいかなくなったのか、それはイオンモールの方が「便利だから」だ。もしかすると現代の「コスパ」「タイパ」「秒の時代」という言葉がとびかう社会に生きる高校生の方が、新道通りの変化に敏感に気づくかもしれない。

 ここで考えたいのが「便利イコール豊(ゆたか)」なのか、ということだ。(高校1年生の教材は特にこの問題を中心に読み解くことができる作品が多い。)新道通りに住んでいる人達は家や店を売った。そして大金を得て郊外で大きな家を買った。時代にあった合理的な判断だ。小さな古い店で毎日一生懸命働くより、郊外の広い家で悠々自適に暮らす方が楽だ。そして、工業化のおかげで、いちいち時間をかけて手で作っていたものたちがスイッチ一つで作れるようになった。そして製品はなんでも大企業が工場で作った方が、早いしコスパも良い。そんな時代にほそぼそと時間のかかる個人経営を続けても利益はあがらない。消費者もそんな時代を歓迎した。スーパーやコンビニにいけば欲しいものは何でもそろう。大手メーカーならいつも安定して高品質なものが買える。流行に沿って大量生産された服や雑貨が買える。味も品質も大きな企業のものならそれだけで安心だ。しかし、果たしてこれで人間は前の時代より「豊か」になったのだろうか。

 90代の祖母はたまにぼやく。今の老人は孤独だと。昔はどの家も鍵はかけていなかったし、いつでもどの家にでも訪ねて話をしに行けたと。確かに私の記憶にも、そこらへんの道ばたに老人たちがよく腰掛けておしゃべりをしていた姿がある。また、家の近くの銭湯にいけば、馴染みのおばあさんたちがいて背中を流し合っていた。その銭湯も家にお風呂ができて行かなくなり、いつの間にかつぶれてしまった。便利になって、生活が楽になっていくにつれ、私たちは独りになることが多くなった。バスや電車にのればすぐにみんなスマホをのぞき込む。家の中で家族と一緒にいても、スマホをみながら生返事をする。科学の発展と共に、私たちは何か大事なものを置いてきてしまったのではないのだろうか。

この答えが「正太郎」と新道少年野球団の過去の話にもつながってくるので、次回に続けたい。

話しは変わるが「昭和の生活、町」を描いた漫画でおすすめがあるので紹介したい。『おはようスパンク』で有名なたかなししずえさんの『しーちゃんのごちそう』という漫画だ。作者の幼少期を描いた作品だが、当時の町の生活がよくわかる。町のみんなが知り合いで、ご近所どうしは当たり前のようにおすそ分けをしあう。貧しく今よりも不便ながらも、テレビや洋食レストランに憧れを持って、わくわく暮らしていた時代が描かれている。

昭和時代が手放しに良いわけではないだろうが、それでも今の時代になくなってしまった温かいものが溢れている漫画だ。昔の新道の生活感を知りたいなら、参考に読んでもいいだろう。

 次回はキャプテンである「正太郎」について、またチームメイトが非道な彼を許す理由について考えていきます。

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