安部公房「良識派」
「見える悪」と「見えない悪」
安倍公房は「壁」、「砂の女」の著者として、日本の現代文学を代表する小説家であり、劇作家だ。私が大学院に通っていたころは、文系の学生達はみな安倍公房を読んでいるのが当たり前だった。(私は当時、読んでいなくて話についていけないことがあったのでよく覚えている笑)
「良識派」は鑑賞教材として教科書に掲載されているとても短い文章だ。授業で取り扱う義務はないが、夏休みの宿題として感想文を書かせ、二学期の初めに解説を行っている。
「良識派」の内容を簡単に紹介すると、自由であったニワトリたちが、言葉巧みな人間によって檻に入れられ、自由を失い、生殺与奪の権を握られてしまうという話だ。これは単にニワトリの話ではなく、人間社会を描いた寓話である。初読でそこまで読み取れる生徒もいれば、ただ「ニワトリがかわいそう」という感想で終わる生徒もいる。そこで終わってしまうともったいないので、解説の時にはつい力が入る。
まずは「人間」がどのような言葉で「ニワトリ」を檻に入らせたのかを見ていこう。「ニワトリ」はそもそも「ネコ」や「イタチ」の脅威におびえていた。彼らは「ツメ」や「キバ」を持っていて、ニワトリにとって解りやすく恐ろしい存在であった。そこに「人間」が現れて、彼らから「ニワトリ」を「守るため」に金網つきの家を建てた。しかし、この家は「人間」だけが開け閉めできる「カギ」が付けられていた。当然「ニワトリ」たちは抗議をするが、「ネコ」や「イタチ」から身を守るためにはこうしなくてはならないと「人間」は語る。
このように「人間」はまず解りやすく「見える悪」を提示する。そして「守ってあげる」という「善」のフリをして「ニワトリ」に近づいた。その裏にある「鶏肉として食べる。卵を奪う。」という欲望は見せないように、あくまで「善」として近づいた。守ってあげると言う優しい「人間」、そして爪や牙を持つ「ネコ」や「イタチ」。このように比べると「キバ」や「ツメ」を持っている動物たちの方が、「ニワトリ」にとっては解りやすく脅威である。だから「人間」のいうことはもっともらしく聞こえる。
しかし流石におかしいと思った一匹のニワトリが抗議をする。「人間」が嘘をついているのではないのかと。しかし「人間」は自分の「誠意を信じてほしい」と訴え、逆にその「ニワトリ」が「ネコから金をもらったスパイ」なのではないのかと非難する。この状況に「ニワトリ」たちは混乱し、結局、抗議したニワトリを仲間外れにしてしまった。多数の意見に「良識的に」みんながついていき、ニワトリの「総意」らしきものが作られる。それで結局「良識派」の彼らは自らすすんで「人間」の作った檻に入ってしまった。
私はこれが様々な場面に当てはまると思っているが、授業では日本とアメリカ、そしていわゆる「北朝鮮」という構図で説明している。アメリカと日本は「安保条約」を結んでいる。アメリカは日本を守る義務があり、この条約に基づいて米軍基地が日本に存在している。では、アメリカは何から日本を守っているのか。それは当然、軍事力を拡大している中国であり、核兵器を所持し、ミサイルを飛ばしている「北朝鮮」である。中国や「北朝鮮」は、「ネコ」や「イタチ」のように解りやすい「脅威」である。人を殺す武器は怖い。当然だ。それに反してアメリカはちゃんと日本と条約を結んで、名の通り安全を保障してくれている。中国や「北朝鮮」のように独裁政権もなく、自由な国アメリカ、「Love&Peace」を掲げているアメリカ! そんな国に守られているのだから、日本は安心で幸せな国だ。これからも守り続けてもらおう!と、いう話だ(笑)。
しかし、まあ、数字的なことで比べてみると、「北朝鮮」の年間軍事予算は「500億円」。これに対し、アメリカは「70兆円」。核実験の回数も「北朝鮮」が6回。アメリカは「1060回」。日本からすれば地理的な状況もあるので、中国や「北朝鮮」を「悪」「脅威」とみなす考えはわからなくもないが、「軍事拡大している」「核やミサイル」を持っている、を理由にするならアメリカより脅威となる国は他にないのではないだろうか。
また、日本は守ってくれている在留米軍4万人のために、その駐在経費74.5%を負担し「思いやり予算」を2,000億円支払い、沖縄をはじめとする基地問題を抱えている。また2020年にアメリカから、147億円する戦闘機F35を42機買うことも公言している。これも日本国民が「日本の平和」を維持するために必要なことだと、納得しているなら特に言うことはないのだが……。(ちなみに、私は国民ではないが、住民税、消費税を払っている日本社会の一員として納得できていない。)
そしてこのご時世、アメリカを否定し少しでも中国や「北朝鮮」を擁護しようものなら、日本社会では異端とみなされる。「北朝鮮のスパイ」だと呼ばれる。大多数の「良識派」は当然のように安全と平和を好み見える悪を嫌うからだ。「善」と「見える悪」。その構図を意図的に作ってしまえば人間の思考を操作するのは簡単だ。日本のメディアが「北朝鮮」に関して友好的な報道をすることはほとんどない。
これは何も政治的な話だけではない。何事も一枚岩として見るのではなく、複雑な問題と捉えて多角的に見る必要がある。安倍公房は高二で習う「ヘビについて~日常性の壁~」という随筆でも、人間が常に「偏見」を持ってしまう問題に注意を促している。表面的なことだけで判断するのではなく、何に対しても疑問をもち、疑ってみる姿勢は必要だ。
ところで、この「ニワトリ」を生徒たちはかわいそう、と言うのだが、じゃあ「人間」である私たちは「ニワトリ」の現状を知って彼らに自由と尊重を返すだろうか? つまり、彼らを殺すことをやめ鶏肉を食べることを諦めるだろうか。鶏肉だけではない。卵もおなじだ。それはつまり、オムレツや茶わん蒸し、ケーキやプリンまで食べられない世界になるということだ。「ニワトリ」がかわいそうだから、という理由で、それらを諦めることができるだろうか。
人によるかもしれないが、まあ無理だ。私自身も卵かけごはんが食べられなくなる世界は嫌だ。人間が一度「味をしめた」ものを手放すことは難しい。
ならば、「ニワトリ」がもし知識をつけ、人間の言葉を覚え、訴えてきたらどうだろうか。今よりも人間の罪悪感は増して、食べなくなる人間もいるかもしれない。それでもニワトリや卵を売ることは利益になる。だったら鳥小屋を徹底的に統制して、彼らが人間と同じ言葉が話せるという事実を隠してしまえばいい。私たちは「ニワトリ」が私たちとは「違う」動物だから食べることに抵抗を感じない。それなら「違う」存在として隔離してしまえばいい。(ナチスがユダヤ人に行ったように。)
それにも反対して、「ニワトリ」が一斉に力を合わせて歯向かってきたらどうだろう? ヒッチコックの映画のように。これには人間も最初は慌てふためくだろう。けれども反抗するニワトリは銃や毒薬で殺せばいい。今でも鳥インフルエンザになれば何万羽と一日に殺しているのだから簡単なことだ。大丈夫。何度か繰り返せば、死にたくない、と反抗をやめる「良識派」のニワトリがまた増えてくる。
さて、では「ニワトリ」が自分たちの尊厳を回復するにはどうすればよいのか。「人間」という強者は「ニワトリ」を自分の糧としてしか見ていない。利益として利用できるものを利用しているだけだ。この問題は生徒たちにも尋ねる。「ニワトリ」が「人間」に勝つ方法。簡単なことだ。「ニワトリ」が「人間」と同じぐらい、もしくはそれ以上、賢く、強くなるしかない。自分たちの尊厳と未来の卵を守るために、誰の力も借りずに自分たちの力だけで、知識を集め仲間と協力し、強く賢くなるしかない。強者に支配され平和のふりをし、都合のいいように搾取されたくなければ、そうやって闘っていくしかない。「人間」が武器をもって殺そうとするなら、「ニワトリ」も武器を持たなくてはならない。言葉を封じ込めようとするなら、それを乗り越えて自分たちの正当性を発信し続けなければならない。そんな奇跡が起きないかぎり、私たちは「ニワトリ」を殺し卵を食べ続けるだろう。かわいそう、と思いながらも搾取を続けるだろう。「人間」とは誰だってそういうものだ。だから「良識派」に恐れられ「ニンゲン」に煩わしがられても、「ニワトリ」にはなりたくないから、自ら「ツメ」や「キバ」を身につける動物だって現れるのだ。
安倍公房については高二の「ヘビについて~日常性の壁~」の時にも語りたいと思います。次回は詩人の吉野弘さんについて、少しだけ語りたいと思います。
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