少女漫画① 大島弓子先生の作品

少女漫画

少女漫画① 大島弓子先生の作品

 母親の影響で70年代の少女漫画をよく読む。特に「花の24年組」と呼ばれる方がたの作品は大好きだ。萩尾望都先生、青池保子先生、山岸涼子先生……。本当に偉大な方々が多くて驚く。

 戦後、60年代、一般的には漫画といえば「少年漫画」が基本であった時代。女性漫画は、大人しくかわいい少女たちの友愛や恋愛が主流で、似たような話が多かったと聞く。そんな画一的な作品に一石を投じ、SF要素や哲学、少年漫画に負けない冒険ものや、複雑な心理描写を描きだしたのが「花の24年組」に属する先生方だ。

彼女たちが、「少年漫画」が注目されるなかで、「少女漫画」の地位向上を! と、強い意志で描いた作品も多いだろうが、私はそれよりも、当時の女性たちが「描きたいものを描いた」という感じが好きだ。女性とはこうあるべきだ、「少女漫画」とはこうあるべきだ、という当時の通念を壊して、「私はこういうのが描きたい!」と新しいものを描いたパワーを強く感じる。

そして、この時代の「少女漫画」は、良くも悪くも「無法地帯」だったのだろう。女性たちの「描きたいこと!」への挑戦を、受け止められる時代のおかげもあって、今では考えられないような、本当に個性豊かな作品がたくさん生まれた。

 

 その中でも、今回は大島弓子先生を紹介したいと思う。私は勝手に、「少女漫画界の詩人」と呼んでいる(笑)。

 まず絵柄は、シンプルな線でかわいらしい。代表作である『綿の国星』は、チビ猫のかわいさがたまらない。また、背景の林や芝生のシンプルながらも明るい描写も世界観と合わさってとても素敵だ。林にふりそそぐ木漏れ日がシンプルなのだけれども、本物の「光」に見えるからすごい。そしてページ一面に広がる「空白」や、逆にベタで塗りつぶした一面「黒いページ」も印象的だ。決めゴマとして、詩のような美しいモノローグと共に、見開きで使われる。動きがある絵ではないが、一枚の絵画のようなページは、添えられた言葉と共に、いつ見ても心が引き寄せられる。大ゴマ以外でも、私は何気ない描写で使われる「空白」が好きだ。私は大島さんの作品は実写化が不可能だと思っている。登場人物たちがため息をついて、見上げるのは本物の「空」ではなく、コマの真っ白な「空白」でないとダメだからだ。もちろんほとんどの漫画が白黒で書かれるものだが、特に大島先生の作品は「空白」がとても大事だと感じる。内容もシンプルな絵も、どれをとってもとても透明度の高い作品だからだと思う。

 

 話の内容は、日常なのだが、日常ではない話が多い。それは特に登場人物が度を越えた性格をしているか、そういう行動を取ることがよくあるからだ。普通なら、「そこまでするかな。」と、思う言動を登場人物たちは本気でする。例えば、自殺願望がある少女や、自分が「異質」と思い込んでいる少女、生理が辛いから子宮摘出手術を受けようとする少女、子供を殺したい衝動に駆られる母親、認知症で自分を大学生だと思い込んでいる老人……。このように、ある思考に振り切った人たちが主人公になることが多い。

『綿の国星』にいたっては、猫を擬人化した話なのだが、「飼い主によって避妊手術を受けさせられた(でも、そのことに気付いていない)猫」や、「自分の子供を食べた母親猫」も登場する。(よくそんな設定を描こうと思いつくな! といつも感心してしまう。)

 そして、こんなふりきった登場人物たちに、共感を覚えることができるのが、大島作品のすごいところ。キャラクターたちをみて、ここまでの言動はしない、と思いながらも、彼/彼女らが持っている不安感や、思考方法が、私に「全くない」と言い切れない。

なぜかというと、自分という存在、男女という性差、肉体、家族や友人に対しての嫉妬、執着、老いや死についての不安……。そういう普段は何気なく当然のものとして問題視していないものを、登場人物たちがふりきって、考えて、体現してくれていることによって、改めて考えさせられるからだ。

登場人物が一つの問題に集中しているから突拍子もなく感じることがあるが、その不安は必ず私たちが持っている。だから読んでいると共感がわいてくる。それぐらい人間の真理をついている作品だと思う。読んだ後も後を引き、ふと、内容を思い出すと、小一時間考え続けてしまう作品が多い。

 男性、女性、老若男女、様々な主人公がいるが、(私が女性だからかもしれないが)特に「少女」が主人公の作品はよく覚えている。彼女たちはそれぞれ様々な角度から「少女」を体現しきっている。「女性」として生まれたこと。好きは人ができること。そしてそれが叶わないということ。子供を産むための身体に成長していくこと。誰かの特別になりたいのに、なれないということ。そういった「少女」の不安を持ったキャラクターたちはとても印象的だ。

 こんな風に書いていると、知らない人たちには、まるで「不安」で暗い漫画のように思われそうだが、これらが解決、とまではいかなくても、全て明るく前進する、というところもすばらしい漫画だ。いろんな不安はあるけれども、主人公たちは、それでも、ふとしたきっかけで、誰かと心を交わし、自分の不安と向き合って「生きていこう」と前進していく。

 そして、これが一番言いたいことなのだが、大島先生の漫画は「終わり方」が素晴らしい! 綺麗で可愛らしい、けれども不安がちりばめられた世界を、明るく最後まで美しく、余韻を残しながら閉じてくれる。最後の一コマのイラストとモノローグが本当に上手い。『四月怪談』の初子ちゃんが言うように、寝ているときはお母さんにゆっくり起こしてほしいのと一緒で、最後のコマが、大島先生の世界から現実に戻るちょうどよい橋渡しをしてくれている。全部の作品好きなのだが、特に好きなのは、先ほど紹介した『綿の国星』の避妊ネコを描いた「ミルクパン・ミルククラウン」と、自分の子供を食べてしまった猫を描いた「ばら科」。これらの題材が、どんなにやるせない話でも、ここまで美しく終われるのは本当に驚いてしまう。

 

 他にも言いたいことはたくさんあるのだが、とりあえず代表作をいくつか紹介する。

一つ目は『綿の国星』。何度も上で紹介してきているが、大島先生を代表する作品だ。可愛い絵柄で、猫たちを擬人化しているのだけれども、取り扱っている題材は上記のごとく、なかなかハード。それでも美しく優しく暖かい世界が広がっていく。飼い主の「トキオ」と恋人の「みつあみ」、お母さんや、お父さんのような、「人間」たちの話も考えさせられることが多い。特に印象に残っている話は双子猫のモルドとグリンが出てくる「ギャザー」。誰かと自分を比べてしまう不安、そして誰かの一番に認めてもらいたいという、どうしようもできない欲求の話。嫉妬からグリンが「モルドをけいべつしたい。なんでもいいから理由をみつけてけいべつしたい。」と感じてしまう。私もとても共感してしまう作品だ。

 他にもお嬢様猫のキャラウェイが出てくる「八十八夜」も好きだ。キャラウェイが飼い主に呼ばれて、そっと近づくシーンが、彼女の表情も相まってグッとくる。あと「葡萄夜」に出てくる幽霊猫のタマヤ! あれも終わり方が爽快で完璧だ。一つ前の見開きのページもタマヤの気持ちが解放されていくようでとても好きだ。と、まあ、素敵で印象的な話ばかりだが、何が辛いかというと、これが物語としては「未完」だということ……。もともと一話完結としても読めるが、もう一人の主人公で、美猫である、ラフィエロの姿が完全に消えてしまったことが辛い。タイトルにもなっている『綿の国星』への彼の憧れは、一体どうなってしまったのだろうか。ちゃんとチビ猫を迎えに来るだろうか、それとも、あのまま野良猫として死んでいったのだろうか……。それも十分ありえるし、そうでした、と言われても、十分名作だからすごいのだが……。ラフィエロのその後は読みたいなと思う。

あと、初めてチビ猫がトキオの持つバスケットに揺られて、予備校まで電車に乗る場面がかわいい。後ろに過ぎ去っていく電信柱を見て「トクギ!トクギ!あれには負けるわ!」と、言っているのは、微笑ましいと同時に、よくその視点で世界を見られるな、と感心した。

 二つ目に紹介したいのは「バナナブレッドのプディング」。「少女」をとことんまで煮詰めた「衣良(いら)ちゃん」のお話。彼女は転校した初日、自分の事を「イライラの衣良」と自己紹介する。もう、この時点でおもしろい(笑)。とにかく彼女は、女子高生にしては純粋で子供っぽい。草や花に話しかけ、幼い頃の怖い話が忘れられず、夜にトイレに行けないような少女。家族や同級生たちにも心配される彼女の唯一の理解者は姉の「紗良(さら)」だった。けれども彼女も妹を置いて結婚してしまう。

 そんな彼女が求める理想の恋人像が「同性愛者であることに後ろめたさを感じている男性」。彼女はそんな人が後ろめたさを感じないように、カモフラージュとして付き合いたい、という。一見、突拍子もないような話だが、彼女は、自分の生まれながらの「性(セックス)」は傷つけたくないが、社会的な「性(ジェンダー)」としての、女性性は満たしたいと思っている。自分を肉体的に、生態的に「女性」としては認められないが、「女性」としての役割は果たしたい。その根底にあるのは、自信のなさによる自己否定だろう。好きになった「峠さん」に優しくされても、彼女は「彼を神様だと思わないようにしよう。」と、心に決める。自分を周りと同じ「人」として認識していない。自分は異質であり、姉のように微笑むこと、誰かを幸せにすることは、絶対に出来ないと思っている。だから女性である「自分」を好きになってもらうのではなく、一人の社会的に位置づけられた「女性」として、社会に正しく使ってもらうことを要求する。

 そんな彼女をとりまく人間関係も非常に複雑だ。叶わない同性愛や、兄に対する嫉妬。みんながいびつで悲しい思いを持ちながら、それでも誰かと出会って、悲しみを共有して、新しい道へと進んで行く。そして最後は、姉がこれから産む子供の夢の話で終わる。男性に生まれようとも、女性に生まれようとも、産まれてくれば、「素晴らしいことに出会える」という言葉は、この悲しく孤独な世界で、それでも生きることを肯定してくれる言葉だ。どんなに孤独でも、ちゃんと「自分」を理解しようとする人とは出会える。主人公の衣良ちゃんが初めて、他人が「自分」を見ているのを気づき、自分だけでなく、同等に「相手」を見られるようになる瞬間は、ほっとするような暖かさだ。誰にも理解されないと思っていた少女が、初めて一人の人間として、相手の言葉を信じて受け止めた。もちろん、衣良ちゃんはまだこれからも不安を抱えることが多いだろう。けれども、ホットミルクを飲みながら、一緒に話す相手ができたのは、きっと彼女にとって「素晴らしいこと」だ。

 短編の『七月七日に』も紹介したい。これは、私にとって本当に衝撃的な作品だった。戦時中の「つづみ」という少女と「浅葱」という名の義母の話。娘からみた「母親」という存在の不気味さ、得体の知れなさをよく描いた作品だとおもう。娘は母親に対し、尊敬や思慕、特別な愛情を持つ。それと同時に決して理解できない奇妙さも感じる。同一に近いのだが、決して同一にはなれない存在。まあ、「義母」なので、普通の母娘の関係とは違うかもしれないが、私が幼い頃から「母親」に抱いていた「違和感」をそのまま描いていたので、初めて読んだときの衝撃は忘れられない。作品内で「こわいような うれしいような うそのような ほんとうのような ふしぎな気持ち」と描かれているように、「(義)母」は何かしら「秘密」を持っていることが示唆される。その不思議さ、いつか自分の元を去るのではないか、という不安感が、幼い頃、母親に対して抱いた気持ちとそっくりだ。

 そして「浅葱」の予想を上回る正体には本当に驚いた。それと同時に、どこか納得がいく気持ちにもなった。娘は「母親」を性的に捉えることは普段ない。同じ「女性」なのだが、同じ「女性」として見ることはない。なんというか、「男女」の生々しい存在としては見られない。そういう「性」とは無縁の場所に位置づけていたから、「浅葱」の正体は衝撃的であるにも関わらず、嫌悪感や、裏切りのようなものは全く感じなかった。

「つづみ」が隣の「桃太郎」と生涯を誓いあったと同時に、義母の「浅葱」は役目を終える。「浅葱」は自分を偽ってもいいと思うぐらい、一人の人間を愛していた。(娘の「つづみ」も含め。)戦時中という混乱した時代設定ともあいまって、「つづみ」にとっては、幼い頃の、本当にあったのかも怪しい、不思議な夢のような、それでも光と愛に満ちた、思い出として、いつまでも心に残るだろう。

 あとは、「ヨハネが好き」という作品も大好きだ。話のあらすじ自体は他の作品に比べて、綺麗にまとまっているとは言い難いが、心理描写がとても上手い作品だと思う。ヒロインの「やすべえ」は、ひょうひょうとしていて、知的で、他の少女たちにはない性格だ。主人公の「ヨハネ」もそんな彼女に惹かれる。そのことを知った「やすべえ」もヨハネのためにと張り切る。誰だって、好きな人から、「ちょっとした羽を持っている」と言われたいし、特別で、高潔なものとして憧れを持たれたい。けれどもそれは上手くいかない。自分の感情を押し切る時もあれば、意図せず他人を傷つけることも言ってしまう場合もある。「ヨハネ」も「やすべえ」も、お互いの存在に憧れ、それぞれにとって「翼をもつ高潔なもの」になりたがった。話が進むにつれて、二人はそれができないことを認めて、周りに頼り、手をとりあっていく。好きなシーンは「ヨハネ」が告白するシーン。漫画の中で一番印象に残っている告白シーンで、私はあんな風に告白されたいなと思っている(笑)。「憧れていたのはいつも君だよ。」という「ヨハネ」のセリフ。「憧れ」という言葉は物語の最初と同じだが、「翼をもつ天使」としてではなくて、同じ苦労をわかちあえる「人間」としての「憧れ」に変わっている。

後、好きなシーンは、もう一人のヒロインである果林が結婚するシーン。雪と一緒にタイトルも回収してしまう美しさ!(笑)彼女の想いは告げられることはなかったけれども、雪のように美しく、いつまでもしんしんと降り続けるのだろう。そんな切なさを乗り越えた彼女はとても強い。ライバルだった「やすべえ」に大人の女性として謝れるまでに成長した。大島先生の作品は、恋愛が描かれても、その後どうなったか明かされない作品が多いが、この作品は最後まで描ききっていて、綺麗に幕を下ろした作品となっている。

さて、いつもの教材より、長い文章になってしまいましたが(笑)、同じ「作品」としてみると、小説も漫画も変わりないと思っています。まだまだ語りたい女性漫画家の先生は多いので、書いていきたいと思います! よろしくお願いします。

次回は、ヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」を頑張って書いてみます……。

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