茨木のり子「自分の感受性くらい」③

茨木のり子「自分の感受性くらい」

「茨木のり子さんと朝鮮」

 茨木のり子さんは1976年、50歳の時にハングル(朝鮮語、韓国語)を習い始めている。いわゆる韓流ブームにはまだ遠く、ハングルをすすんで習う人はほとんどいない時期だ。このことについては茨木のり子さん自身が書いた『ハングルへの旅』(朝日文庫)を読むとそのいきさつがよくわかる。習い始めた理由、教室で出会った先生の教え方が気に入ったこと、日本語との共通点、好きなハングルの詩…と、作者が新しい言語の習得を楽しんだ様子がおもしろく書かれている。

 しかし楽しいだけではなく、作者は常に「戦争加害国としての日本」人の立場を明確に示している。ハングルに興味を持ち、習おうとしたきっかけもそこにある。「上手な日本語」で日本の詩を朗読する韓国の詩人。それに対して作者はこの時一つも隣国の詩を知らないことに気が付く。「上手な日本語」が「当たり前」になっている植民地時代を生き抜いた隣国の詩人との出会い。同じように戦争で身も心も縛られていた作者が感じたことは大きかっただろう。

 作者の『隣国語の森』という詩を読むと、その謝罪の心情がはっきりわかる。(長いので全文は引用しないが、ぜひ検索して全文を読んでほしい。)

倭奴(ウェノム)の末裔であるわたくしは
緊張を欠けば
たちまちに恨(ハン)こもる言葉に
取って喰われそう
そんな虎(ホーランィ)が確実に潜んでいるのかもしれない

と、日本人として朝鮮の「恨」を理解し、真正面から受け止めようとする姿勢を示している。しかし、私がこの詩の好きなところはこの続きだ。

だが
むかしむかしの大昔を
「虎が煙草を吸う時代」と
言いならわす可笑しみもまたハングルならでは

 「虎が煙草を吸う時代」とは、朝鮮の昔話を始めるときの決まり文句だ。日本にも鳥獣戯画があるように、朝鮮でも動物の愛嬌ある擬人化は古くから身近におこなわれてきた。朝日で植民地時代の話をすると、まずは「謝罪」や「補償」という話に繋がる。朝鮮人はそれを求めている、というところに重点が行く。(そのせいで日本人からしても、その要求は億劫になる。終わったことを責められているという感情になって反発が起こる。)それは当然そうなのだが、茨木のり子さんはそれをしっかり踏まえたうえで、それを超えて、ハングルのおもしろさ、詩の続きを引用するなら

 すっとぼけ

 ずっこけた

 俗談の宝庫であり

 諧謔の森でもあり

というところまでちゃんと見てくれている。言語としてハングルの面白さを理解し、愛してくれているのだな、と嬉しくなる。この詩を読んだ時、私は初めて心にすっと落ち着くものがあった。私は在日朝鮮人として、日本という国に植民地時代のことを反省してほしい、という気持ちが当然大きくある。けれどもそれを大きく言うたび、日本がそれを拒絶するたび、私の心は冷めていった。しかし、この詩は私がそれだけを求めているのではないのだと気づかせてくれた。茨木のり子さんのように、こんな風にちゃんと自分の国、民族、存在を認めて、愛してほしいと思っていたのだ。チョゴリを見て「きれい」と言ってくれれば嬉しいし、チャンゴを見て興味を持ってくれると嬉しい。そのような単純な民族間の尊重がほしいのだ。

これはただ、たとえば韓流ブームが嬉しいという話でもない。茨木のり子さんが詩の続きでその後も何度も示してくれるように、悲しい歴史を加害者として直視し、受け止めようとする姿勢と、隣国として自国と比較しながら好意をもってくれる、というこの二つの側面が大事なのだと思う。(あれ、要求増えた…笑)

 よくよく考えれば、私の方こそ多分そこらの日本人より日本文学を愛している。少なくともこのようなブログを作るぐらいには!(ちなみに私は朝鮮文学、詩、映画も好きだし、イギリス児童文学が修士課程の専攻だ。日本の漫画もオタク文化も好きだ。)だから、朝鮮人を「謝罪を要求しているだけの存在」として取り扱われたくない。ちゃんと隣人として尊重し合える対等な関係になりたいだけだ。そのためにヘイトスピーチや高校無償化問題など不当な扱いをされたら政治に対して声をあげるし、私は朝鮮学校で日本文学を、敬意をこめて本当の愛情を持って教える。(それでも反日教育を行っていると見られるのだから困るわけで…。)茨木のり子さんも植民地時代に日本で獄死した詩人、尹東柱の詩を、戦争の加害国としての責任と尹東柱の写真が好みの好青年であったという下心、という二つの理由から研究し日本に広めたことで、日本と朝鮮の関係を繋いだ。私も人として日本の不当な差別に怒ることと、日本文学が好きだ、という二つの側面からできることをしていこうと思う。

さて、せっかくなので茨木のり子さんの書籍をもう一つ紹介しておこう。中学生でもよみやすく、大人でも読みごたえのある『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)だ。詩に興味があっても、同作家のものが続いている詩集は正直読みづらい。この本では戦後の日本を代表する詩が「生まれる」や、「愛」というテーマごとに紹介されている。谷川俊太郎、吉野弘、川崎洋、石垣りん、など知っておいて損はない日本を代表する詩人たちのまさに代表作が紹介されているので、詩の入門書としてとても入りやすい。しかも一つ一つの作品に茨木のり子さんの解説がついているのでわかりやすく、詩の良さがわからない人でも軽い気持ちで読めるだろう。

(これを紹介するにあたって、自分のものを探しているのだが見当たらない…。あれ?)

この書籍では岩田宏さんの『住所とギョウザ』という詩が紹介されている。在日朝鮮人に関する詩だ。こちらもネット上で題名を検索してくれると全文が表示されるのでぜひ読んでほしい。(書籍で茨木のり子さんの解説つきで読んでくれるとより嬉しい。)作者の取り返しのつかない後悔を超えて、新しい朝日の関係を「そろそろ」(ハングルで『お互い』の意)真剣に作っていきたいと思う。

茨木のり子さんについて書くのは今回で終わります。次回からは自分なりの「詩の書き方、指導方法」をまとめていきます。

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