森鴎外「最後の一句」③

森鷗外「最後の一句」

森鴎外「最後の一句」③

「権力とは?」

 罪に対する罰を決めるのは「権力がある人間」である。「権力がある人間」といっても誰か一人を指すものではない。大人になって、社会人になればわかることなのだが、誰か独りが絶対権力を持っているという組織は実は多くない。会社にしても学校にしても、社長や校長が独断で決めて実行に移すことはほとんどない。さまざまな会議や話し合いを経て、決定され実行に移される。で、実はそれを決める会議にもなにかしら制限をかけている上の組織があったりする。とにかく「権力」とは「誰か」ではない。「集団」と表現するのもなにかしっくりこない。「システム」と言うのがしっくりくるかもしれない。

だから、この作品でも「権力」を表すのは、「奉行所」という場所、システムであり、漠然とした「お上」である。その代表として「いち」と直接対決をする「佐々」が登場するが、「権力」とは大きく徳川幕府の体制までもが含まれる。

そして奉行所で最初に出会う「門番」も、「いち」たち庶民からすれば立派な「権力側の人間」である。彼は「いち」が最初に出会う権力側の人間だ。「門番」は最初から「いち」に横柄な態度を取る。そして、彼女が「桂家太郎兵衛」の娘だとしると、

「『ふん』。と言って、男は少し考えた。そして言った。『けしからん。子供までが上を恐れんとみえる。お奉行様はおまえたちにお会いはない。帰れ帰れ。』こう言って、窓を閉めてしまった。」

と、いう態度を取る。幕府の制定した法を犯した「桂家太郎兵衛」は、「上」に従わない恐れ多い罪人だし、そんな「太郎兵衛」を助けようと、「上」の判決に意義をとなえる意見書をだしにきた「いち」も、同じように恥ずべき人間だ。「上」が絶対的な権力を持っており、「上」に従うのが絶対的な正義なのだから、それに背く行動を取る親子が邪険に扱われるのは当然だろう。しかしここでおもしろいのは、この「門番」という地位の低いものが庶民の「いち」と対峙した時に、「権力側」の立場で発言していることである。たかが「門番」ではあるが、彼なりに奉行所という権力の中心を守っている自尊心があるのだろう。彼も庶民には、特に「いち」のような少女相手には、立派な権力側として威張れる。(むしろ庶民に近い地位だからこそ、虚勢を張るしかない。)

この作品の登場人物で「権力側」の人間の一番末端がこの「門番」である。そしてそのトップは、直接名前は出ていないが、当時の徳川幕府将軍、徳川吉宗である。彼は登場こそしないが、ひそかにその権力的存在を匂わせている。

「いち」からの願書があったことを聞いた、西町奉行の「佐々」はそれを受け取るか、どうかの判断を、

「それは目安箱をお設けになっている御趣意から、次第によっては受け取ってもよろしいが、」と徳川吉宗の制作にゆだねる。「目安箱」は吉宗の時代に1721年に設けられた民衆の声を聞くための投書箱である。「佐々」より「上」である江戸川幕府将軍が、庶民の意見を聞くことを政策として掲げているのであれば、それは「佐々」もその政策に従わなくてはならない。(それどころか将軍がそういう政策をしていなければ、「いち」の願書も内見されなった可能性もある。)

 

 

 他にも、徳川幕府はラストのオチにも重要にかかわって来る。結局、「いち」の願書が受理され「佐々」の取り調べがあった結果、「桂家太郎兵衛」の刑は「江戸へうかがい中日延べ」となる。

 このオチも「権力」というものをよく表しているな、と思う。「佐々」はじめとする奉行所では判断ができなかったのだ。彼らは「太郎兵衛」の罪に対して「いち」が求めた絶対的な正義と威厳をもって罰を下せなかった。私たちも仕事をしているとそうなのだが、わからないことや決められないこと、責任が重いことは、「上(うえ)」へあげる(笑)。上の判断をどんどん仰ぐ。私より上の権力が決めたのだから、その判断は私にとって「絶対的な判断」になる。何かおかしなことがあっても「上がそう判断しました。」で片づければ責任を負わなくてすむ。安心だ(笑)。同じように、西町奉行も、一緒に取り調べに臨んだ大阪の城代である「太田」も、この「太郎兵衛」案件を「江戸」、つまり徳川将軍に上げたのである。

 そして、結局のところ江戸幕府が出した答えが、京都で51年ぶりに「大嘗会」があったから「死罪御赦免」である。「大嘗会」のことは詳しくしらないが、天皇が即位後に行った縁起のいい行事なのだろう。そんな縁起のいい儀式から日も立たないうちに、斬首刑を執行するのはよくない、という判断である。

 前回の記事で「刑罰を決める絶対的な神様はいない」と書いたが、結局「天皇」といういわゆる「神様」的な存在をもってくることで「太郎兵衛」問題は解決とした(笑)。絶対的な判断を人間がくだせないのなら、今以上に神聖視されていたであろう「天皇」を「神」として使えばいい。「天皇」を理由に出してしまえば、もうこれ以上「罪に対して罰の重さ、軽さ」の議論を誰も挟むことはできない。

「門番」「徳川幕府」。この他にも権力機構を表す役職は多く出てくる。「城代」「奉行」「与力」「同心」「書きつけ」「町年寄」など、生徒たちに理解させることは難しいが、江戸時代の権力機構が細かく描写されている。(生徒たちがテレビで時代劇を観る機会はなくなってしまった。)また、「いち」が持ってきた願書を「門番」を飛び越えて、その場で一番権力のある「与力」に手わたす描写や、「佐々」がそういう願書は「町年寄」を通すべきだと述べる描写があり、「権力機構」の面倒くささ(ある意味でのわかりやすさ)がしっかり描かれている。

 多分これは、森鴎外が軍医として所属していた陸軍での体験も描かれているのだろう。当時の軍組織について全く知らないが、ガッチガチの組織だったことはなんとなく想像がつく。上から下へと階級や称号がずらりと並んでいるのは、江戸時代の権力制度となんら変わらない。

 そして、このややこしい「権力制度」を、この話の中で代表するのが西町奉行の「佐々」である。しかし、あくまでも「佐々」は権力機構の一部として描かれている。「いち」の最後の言葉は「いちと言葉を交えた佐々のみではなく、書院にいた役人一同の胸をも刺した」。「佐々」という個人ではなく、とことん「権力」という出来上がったシステムに対しての批判として描かれている。たまたま「いち」と直接対立する地位に「佐々」がいただけだ。彼がいなくなったとしても幕府の制度は変わらない。

さて、それでも「佐々」は「いち」と直接対立する、もう一人の主人公だ。ある程度の大人なら「佐々」側に立って読んだほうがだいぶ感情移入しやすい。「いち」側にたてば「権力制度」に一撃を与える冷静で強いヒロインの話だが、「佐々」側に立てば、「権力制度」に組込まれた一人の人間の苦悩の物語である。本当はこの回で「佐々」について語りたかったのだが、長くなってしまったのと、投稿時間がだいぶ空いてしまったので、ここで一度句切る。

 投稿の空いてしまっていますが、夏までには「最後の一句」を終らせたいと思います。よければのんびりお付き合いください。

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