読書感想文⑧「チョウはなぜ飛ぶか」

読書感想文

日高敏隆 「チョウはなぜ飛ぶか」

 

 2020年に岩波少年文庫から発行されたエッセイ。日高敏隆さんは日本の有名な動物行動学者である。私が学生だった時は「チョウの飛ぶ道」という教材が中学二年生の教科書に掲載されていた。チョウはなぜ決まった道を飛ぶのか、という少年時代の疑問に対して、仲間たちと一つずつ検証し、失敗しながらも答えを導き出す、という内容だ。田舎の沢で陽ざしを浴びながら、チョウの飛ぶ道を探して一喜一憂する姿は、大人になってもよく覚えている。今は「チョウの飛ぶ道」という教材の代わりに、同筆者の「ハチドリの不思議」という説明文が掲載されている。この教材もハチドリに関する知識が、解りやすい文章で書かれているので、とても読みやすい教材だ。こちらも好きだが、個人的には知識と共に筆者の瑞々しい感情が描かれている「チョウの飛ぶ道」の方が好きである。

 この「チョウの飛ぶ道」は今回紹介する「チョウはなぜ飛ぶか」からの抜粋である。もともと1975年に「岩波科学の本」として出版されたものが、新装版として去年出版された。

私は本屋でこの本を見た瞬間、まず大きく描かれたアゲハ蝶のイラストに惹かれ、「日高敏隆」という懐かしい名前に嬉しくなってすぐに購入した。簡単な文章で読みやすく、それでいて読み応えのある一冊で、結果とても満足のいく買い物となった。

 

 内容はチョウに関して浮かんだ疑問を、筆者がさまざまな実験を通して解決を試みるというものだ。筆者があとがきに、「研究とはこういうものだ」というのを書きたかったと、綴っているように、本当に地道な作業の繰り返しが書かれている。何度も同じような実験を繰り返し、失敗をして、また一から仮説を立てて実証実験を行う。そのために研究対象であるチョウを繁殖させ、実験のために羽をもぎ、潰していく。この過程が淡々と語られている。それが読んでいてとても楽しい(笑)。中学生や高校生は、大学の研究とは「頭がいい」人が何かかっこいいことをするものだと思っていることが多い。(私もそうであった。)しかし、実際に研究とは単純なことの繰り返しで、机上で生まれる理論だけでは意味をなさない。地道なことをどれだけコツコツできるか、それが大事なことだとよく解る。筆者が意図した通り、これが研究というものだ、というのを実感できる内容だ。

 それに、筆者はチョウが大好きなのだが、まあ、何百匹と殺す(笑)。チョウのことを知るためにチョウを殺す。一見残酷かもしれないが、研究とはそういうもの。実際に目で見て確かめて、初めて前に進めるもの。何かについて深く知るための研究は資金や時間、時には対象の生命、といったものを消費しなくてはならない。

 

 研究を続けていくと「それを知ってなにか意味があるのか」と尋ねられるときがある。「チョウ」がなぜ飛ぶか、どのように雄と雌を見分けているのか。知って何になるの? 何年も時間をかけてすることなの? 命を犠牲にしてまですることなの? そんなに価値があることなの? と。

私も院生の頃「クマのプーさん」を研究していたので、この問いはよく自分にもしたし、周りからも少なからずあった。悩んだこともあったが、まあ、私はもう、この問いに対しては、いくらでもそれなりの答えを言うことができる。そして、きっとどの研究者も世間を納得させられるもっともらしいことは言えるだろう。研究者はこの問いを受ける機会は多い。だから慣れている。そして、ちゃんと答えられるように準備をしているものである。

 けれども、私もそうなのだが、結局、研究を続けるのは「好きで、楽しいから」が一番の理由だ。対象に関して新しいことを知ること。自分の手で答えを見つけていくこと。これが楽しいから、周りから問われる意味なんて、当事者にとっては大きな問題ではない。(当然、研究資金を得るため、理解を得るためには、社会貢献をしている研究であることは大事だが。)

 そういう人の「知への好奇心」が、結局、社会を動かし発展させてきた。それが無ければ進化も発展もなかっただろう。それが人間とか、社会に「意味」を成すのなら、それはそれでけっこうな話だが、それを先に目標に置いてしまうと、何も新しいことを始めることができない。「社会貢献のために勉強する」「未来の発展のために生きる」、大事なことだが、人間に許された単純な「知への好奇心」はやはり大事に育てなければならないと思う。

 日本政府は2000年代からあからさまに「知」=「物質的な利益」と、いう考え方を示している。2015年に世間を騒がせた、文科省からのいわゆる「国立大学の文系学部廃止」政策として発表された「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という通達などにもその考えは見られる。文系ではなく、科学技術の発展を促すために理数系の学問をより重要視しようということだ。確かに、これから国語を習って、漢文、古文を習って、何か利益があるのか、と言われると困る(笑)。科学技術のように目に見えて生活の役に立つものにはならないだろう(笑)。

けれども、そんなことのためにしか、学問の意義を見いだせないのは寂しい。何かを知って、もっと知りたいと思うこと、そして、より知るために疑問を持つこと、またそれを解決しようとすること。やはり人間を動かす最初の動機は、ここにあると思うし、それを大事にできない社会はどこか行き詰まるのではないのだろうか。興味を持つ分野は人それぞれだろう。またそれに出会う時期も人それぞれだと思う。出会う人や教えてもらう先生によっても違うだろう。だから、「利益」だけに目を向けて、その機会を人間から奪わないようにしたい。朝鮮学校でも「社会のために」は教育理念として第一に掲げている。それが大事なことは重々承知の上で、純粋な知への好奇心がもっと育てられたらいいなと思う。

 筆者の日高敏隆さんは、幼い頃、昆虫採集をしながら疑問に思ったことを解決するために研究を始めた。というより、気づいたらそれが「研究」になっていた。何も大業を成そうという志から動いたのではなかった。けれどもその研究と試行錯誤する様子を書いた彼の文章は今でも人々を魅了し続ける。

私も中学生の頃に読んでいた英国の児童文学で、ふと思った疑問を持ち続けていたら、なんとなく国立大学院の修士課程にいて、修士論文を書いていた。幼い頃の経験、そこから起こる素朴な疑問。それが出発点で、なんだかんだいまだに文学を扱った仕事をしている。役に立つか立たないか、先に話したように、いくらでも意義付けて言えるけれども、それよりも私を動かすのは、やはり幼い頃の疑問と、それを解決できたという嬉しい経験だ。それに出会えた私は幸せものだと思うので、それを少しでも生徒たちに伝えていきたい。

 私はこの「チョウはなぜ飛ぶか」という本が、2020年という時代に新装版として出版されたことをとても嬉しく思う。

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