魯迅「故郷」④

魯迅「故郷」

故郷④

「わたし」の「希望」

「わたし」と「閏土」の物語は衝撃的な再会の日で幕を閉じる。その後「わたし」は彼と会話らしい会話もできずに旅たちの日を迎えた。船に乗り込み、遠ざかる故郷を眺めていると、おいの「宏児」が「閏土」の息子である「水生」との約束を告げる。

「『だって、水生がぼくに、家へ遊びに来いって。』

わたしも、わたしの母も、はっと胸をつかれた。」

「わたし」と「母」が胸をつかれたのは言うまでもなく、幼い彼らの間で結ばれた友情が、そのまま幼い頃の「わたし」と「閏土」との友情と全く同じだったからだ。つまり、幼い彼らの友情も、自分達が「主人」と「召使い」の関係だという現実に気付いた時、「わたし」たち同様に崩れてしまうことが予想される。

 その後「閏土」の盗み疑惑もあり「わたし」はより一層「故郷」への失望を深めていく。それは「故郷」が遠ざかると共に、例の「情景」がぼやけていく描写で描かれる。以下引用する。

「古い家はますます遠くなり、故郷の山や水もますます遠くなる。だが名残惜しい気はしない。自分のまわりに目に見えぬ高い壁があって、その中に自分だけ取り残されたように、気がめいるだけである。西瓜畑の銀の首輪の小英雄の面影は、もとはこの上なかったのだが、今では急にぼんやりしてしまった。これもたまらなく悲しい。」

 唯一の「美しい故郷」の象徴であった「閏土」の幻想も消えていこうとしている。「故郷」は物理的にだけではなく、心理的にも遠ざかっていくのである。さて、言ってしまえば、「わたし」はここでさびれてしまった「故郷」を捨ててしまってもかまわない。「わたし」は「故郷」から離れるのだし、家もなくなった土地に未練もなにも持つ必要はない。しかし「わたし」はこの時に気づく。「今、自分は、自分の道を歩いているとわかった」と。今まで抱いていた「美しい故郷」という幻想が消えて、やっと「現実」を見るにいたった。周りの大人たちによって作られたものでもなく、外部の「閏土」によって与えられた幻想でもない、「自分」の置かれた状況を知って、初めて「自分」が主体的に「故郷」を見られるようになったのだ。そして「わたし」が思いを馳せたのは次の世代の彼らである。

「思えばわたしと現に宏児は水生のことを慕っている。せめて彼らだけは、わたしと違って、互いに隔絶することのないように……」

 「次の世代にはより良い未来を。」この考えは多くの人がある程度大人になった時に持つ考えなのではないだろうか。私はこれが、人間が生きていくための一つの原動力になる考えだと思う。私も「次の世代が自分と同じ思いをして心を痛めないように」という考えが教師になったきっかけの一つだった。そうやって世代は繋がってきたのだと思う。(当然、ふりかえって失敗もあっただろうし、良くなったのかどうか判断が難しい場合もあっただろうが。)

 そして「わたし」は思い至る。次の世代の「彼らは新しい生活をもたなくてはならない」と。そしてそれが「わたし」の「希望」だと考えるのだが、それと同時にある考えが浮かぶ。

「希望という考えが浮かんだので、わたしはどきっとした。たしか閏土が香炉と燭台を所望したとき、わたしは相変わらずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかに彼のことを笑ったものだが、今わたしのいう希望も、やはり手製の偶像にすぎぬのではないか。」

 私はこの文章がとても素晴らしいと思っている。ああ、ここまで書けるのか、と感嘆する文章だ。閏土が所望した「香炉と燭台」は祭祀の時に使用するものだ。祭祀は祖先を敬い、繁栄を願う行事だ。作品の中にもあったように、中国ではこれを大きな行事として取り扱っている。これは「わたし」からすれば(もっと言うなら、近代的な知識を得た魯迅からすれば)、「閏土」のような「故郷(田舎)」の人々は、自分達の「幸せ」を非科学的な「死んだ祖先頼み」、「神頼み」にしているのだ。しかし、そんな祭祀をいくら大きくしても、望んだ生活は訪れない。「閏土」の父が幸せを願ってつけさせていた「銀の首輪」も意味をなさず手放さなくてはならなかった。だから「わたし」は「心ひそかに彼のことを笑った」のである。つまり、「閏土」の思想を馬鹿にして、見下していたのだ。

 しかし、彼は気づく。「わたしの希望も、やはり手製の偶像にすぎぬのではないか」と。「わたしの希望」は、自分達がしたこともない「新しい生活」である。それが何なのか、「わたし」にはわからない。(経験したことがないから。)そしてどうやってそれを実現するのかもわからない。ただなんとなく「新しい生活」が必要だ。いつかそれが来ればいい。と思っているだけなのだ。「わたしの希望」も小馬鹿にした「閏土」の考えと同様に、非科学的で、非現実的な「偶像」にすぎない。いつか幸せになればいいな、と思っているだけでは、幸せになれはしない。

 これに気付いた時、表れるのがこの文だ。

「海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月がかかっている。」

 ここで、この文がくるのもまた素晴らしい。一度は薄れかけた「美しい故郷」の象徴がまた浮かんでくる。次は「閏土」の幻想の力を借りずに。この文は「わたし」がやはり「故郷」を捨てきれない証であろう。失望して、馬鹿にして、見下して、一度は捨てかけた「故郷」だが、「わたし」もそんな彼らと同じである。まだ「故郷」に対してなにも行動を起こしていない。抱いていた幻想が壊れたから、そこで一方的に捨てる権利などない。ならば捨てずにどうするのか、最後のこの有名な文章に続く。

「思うに希望とは、もともとあるものとは言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」

 「わたし」は、まず自分が「新しい生活」に向かって行動をする、つまり「歩く」ことを決意する。そして「新しい生活」の実現は自分一人で成すことが不可能だ。だから「歩く人が多く」ならなければならない。ここの「歩く人」には、きっと「故郷」の人々も視野に入った言葉だろう。「わたし」は捨てるのではなく、共に戦いっていく、歩いて道をつくっていく存在として「故郷」を位置づけている。

 この考えは魯迅の『吶喊』に出てくる有名な「鉄の部屋」の話に通じている。「新しい生活」を得るには、社会を革命する必要がある。革命とは人々を啓蒙し、力を合わせて社会を変えることだ。魯迅はそれを決意し、実際に文学の力で中国の近代化に多大な影響を及ぼした。当然、現実で訪れた「新しい生活」にも問題は山積みだが、それを目指したこと、確かに社会に変化をもたらしたこと、やはり彼は偉大な作家だと思う。

長くなりましたが『故郷』については以上で終わります。もう少し早めの更新をこころがけます……。次は本の紹介でもしようと思います。

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