故郷②
「わたし」と「閏土」
「わたし」は「閏土」の名前を聞いたことで「美しい故郷」の思い出を取り戻した。「わたし」と「閏土」との出会いは三十年前のことである。「わたし」はそれなりに裕福な家庭の「坊ちゃん」であり、「閏土」は「忙月(マンユエ)」と呼ばれる特定期間だけ雇われる召使の子供であった。少年の頃の「閏土」は神仏に願をかけて「きらきら光る銀の首輪をはめていた」。
「閏土」は「わたし」の知らないものをたくさん教えてくれた。私は少年時代の部分を生徒たちに読ませて、「閏土」の特徴や性格を書き出すようにしている。生徒たちは「物知り」、「想像力が豊か」と、特徴をあげる。「想像力が豊か」なのは、「猹」が空想の動物であることからも解る。この「嘘」を大人の「わたし」が「そのときわたしはその「猹」というものがどんなものか、見当もつかなかった-今でも見当はつかないが」と、サラリと暴露しているのも、「わたし」の「閏土」への優しさというか、親しみが込められている気がする。彼の言うことが「嘘」だろうと「空想」だろうと、どうでもよいことで、むしろそんな幼い日の無邪気な「嘘」だからこそ、大人になった今では、楽しく、美しい思い出として残っているのだろう。
生徒たちの答えには「アウトドアな子」というのも出てきた。田舎でのびのび育った「閏土」と、坊ちゃんで町育ちである「わたし」はくっきりと対比して描かれている。「閏土が海辺にいるとき、彼らはわたしと同様、高い塀に囲まれた中庭から四角な空をながめているだけなのだ」と、語られているように、近代化した「都市」でのシステム化した生活に閉じ込められた「わたし」から見ると、「閏土」は自然の中を駆け回る「自由」そのものとして映っただろう。
また、ここでは少年時代の「閏土」のセリフに三点リーダー「……」が多用されているのにも注目したい。彼のセリフは「みんなかえるみたいな足が二本あって……。」と、「……」で省略されて終わっている。ここでは、彼がまだ「話し続けている」ということを表している。「閏土」が「わたし」と楽しく話し続けたということ、また、大人になった「わたし」が今でもその言葉をしっかり覚えていることがわかる。「話の内容」も当然なのだが、「目の前で話している閏土」を覚えているのだと思う。きっとその時の笑顔や、話し方、息づかいまでも鮮明に覚えているのではないだろうか。「わたし」の心情で言えば、本当は一言一句正確に文に書きおこしたいのだろう。そんな気持ちまで伝わって来る「……」の使用法である。三点リーダーは再会後の彼のセリフでも多用されるのだが、その時の対比も含めてしっかり注目させたい。
生徒たちに「わたし」は「閏土」をどう思っていたのか、を考えさせる。「羨ましい」「憧れ」「尊敬」という言葉が出てくる。二人が過ごしたのはこの年の年末年始だけで、多分長くても一カ月ぐらいだろう。その後、一度も会っていないそうだが、鮮明な記憶として思い出されるのだがら、かけがえのない時間であったことには違いない。
「今、母の口から彼の名が出たので、この子供のころの思い出が、電光のように一挙によみがえり、わたしはやっと美しい故郷を見た思いがした。」
と、あるように、冒頭で「美しい故郷」を思い出せなかった「わたし」が、やっと「閏土」との思い出で「美しい故郷」を思い返せることができた。
しかし、意地悪な言い方をするなら、「閏土」との思い出は、最初から「美しい故郷」の思い出ではない。彼は「外部」からの人間である。厳密にいうなら「わたしの故郷」は「高い塀に囲まれた中庭から四角な空をながめているだけ」の部分だ。授業ではそこまで読み込むことはないが、「わたし」は「都市化された故郷」へのアンチテーゼとしての「田舎の閏土」に「美しい故郷」を見いだしていることになる。後半部で友情の終わりと共に示される話ではあるが、それ以前に「わたし」の「美しい故郷」の思い出はそもそも破綻している。やはり「わたし」は本当の「故郷」を見ていないし、見ようとしていない。
まあ、これは「わたし」の考えがいたらないという話ではなくて、私達もそんなものだろう、と思う。幼少期の楽しい思い出というのは、遠出して海に行ったことや、田舎の祖父母の家で泊まったことや、旅行したことや、キャンプにいったことだったりする。「日常」が「思い出」に残ることはそうそうありえない。「故郷」という言葉自体も、「わたし」が二十年間、その地を離れ、これからも離れることになるから、「故郷」として現前化しただけだ。「日常」と結びついている場所を「故郷」とは呼ばない。
少し話がそれてしまったが、何はともあれ、「わたし」の「美しい故郷」がそもそも幻であったこと。それに「わたし」はまだ気づいていないこと。この二つはしっかり押さえておきたい。これを掴んでおくと、後半がより一層深く読めるだろう。
次回も早めの更新を心がけます! ついに「閏土」との再会シーンを考えていきます! 改めてこの作品はやはり深いですね……(笑)
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