魯迅「故郷」③

魯迅「故郷」

故郷③

「閏土」との再会

「閏土」との再会の前に「わたし」と「楊(ヤン)おばさん」との再会が描かれる。「楊おばさん」は「わたし」の少年時代には「豆腐屋小町」と呼ばれるくらいかわいらしい女性だった。しかし、彼女は「ほお骨の出た、唇の薄い、五十がらみの女」になっていた。その外見だけでなく、性格もキツく高圧的に変貌していることが描かれる。彼女は引っ越しする「わたし」の家具や小物をあわよくばもらえないかとやってきた。彼女の物言いに「わたし」は最初のうちはなんとか応答を試みるのだが、あまりの言い分に、「口を閉じたまま立って」しまう。つまり「わたし」は彼女とこれ以上話しても無駄だ、と判断を下す。これは「楊おばさん」だけに対してではなく「故郷」の変化に対してもそうだ。冒頭で故郷が寂しく変わってしまったのか、それとも自分の心境の変化がそう見せているのか、判断に迷ったすえに「心境の変化」だと「言い聞かせた」のだが、「楊おばさん」との再会は、「故郷」の変化をまざまざと見せつけた。「故郷」はやはり人の心もすさませるぐらい荒廃しているのである。

 それでも「美しい故郷」の象徴であった「閏土」との再会。「故郷」への失望を深めていく中で、それでも「わたし」の唯一の拠りどころであっただろう。しかし、彼の風貌もやはり変わっていた。少年時代の丸顔には「深い皺」が刻まれ、手は「太い、節くれだった、しかもひび割れた、松の幹のような手」になっていた。これだけでも「閏土」が生活のために苦労して働いてきたことが見て取れる。しかし「わたし」はその変化を認識しながらも、なおも親しげに呼びかける。それほど友情を確かなものとして感じていたのだろう。

「わたしは感激で胸がいっぱいになり、しかしどう口をきいたものやら思案がつかぬままに、一言、『ああ、閏ちゃん――よく来たね……。』」

 しかし、この呼びかけを「閏土」は裏切る。

「喜びと寂しさの色が顔に現れた。唇が動いたが、声にはならなかった。最後に、うやうやしい態度にくぁって、はっきりこう言った。『だんな様!……。』」

 そして、その言葉を聞いての「わたし」の衝撃。

「わたしは身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。」

 この二人の再会はなかなか衝撃的なシーンだが、実はただの「出来レース」でもある。そもそもが「坊ちゃん」と「召使の子供」の関係であった。「わたし」がその「現実」に長い間、気づいていなかっただけである。以前の記事でも言及してきたように、「わたし」にとって「故郷」は曖昧で、幻想的で、まさに幻を見ているようであった。それは「故郷」を少年特有の「無知」「無邪気さ」の延長でしか見てこなかったからである。本気で故郷の現実を見ようとせずに、少年時代の楽しい思い出だけを「美しい故郷」として見てきた。それをやっと「閏土」によって気づかされたのである。

「閏土」も彼の息子である「水生(シュイション)」ももう「銀の首輪」をしていない。ここからも、彼らの生活が以前より苦しいことが見て取れる。また大人になった「閏土」のセリフにも多用されている「……」(三点リーダー)にも注目したい。少年時代は話している言葉の「省略」として使われていたが、大人になった彼は「あのころは子供で、なんのわきまえもなく……。」のように「沈黙」として使われている。途中で話を「省略」しなければならないほど、明るくおしゃべりだった「閏土」が「沈黙」しているのである。「苦しみを感じはしても、それを言い表すすべがないように、しばらく沈黙し、それからきせるを取り上げて、黙々とたばこをふかした。」と、あるように、彼は何も話さなくなってしまっていた。これは、記事の最初にも書いた「楊おばさん」に対する「わたし」の沈黙と同じである。人は相手に対して話しても無駄だと思ったとき、失望したときに沈黙する。「閏土」は「わたし」よりも先に「故郷」に「社会」に失望して、沈黙することを覚えた。「子だくさん、凶作、重い税金、兵隊、匪賊、役人、地主、みんなよってたかって彼をいじめて、でくのぼうみたいな人間にしてしまったのだ」。

 生徒たちに掴んでほしいのが、これが「個人」の問題ではなく「社会」の問題であることだ。「わたし」も「閏土」も人並みに働き、苦労をしてきた人間だ。「わたし」が「無知」であると指摘したが、これも一般人としては当たり前のことである。私達が日頃から政治や国際情勢に無関心でいるのと同じことだ。けれども、その善良な市民たちを失望させ、沈黙させる力を持っているのが「社会」である。というより、その「社会」を作っている「市民」として、私達がどう主体的に責任を持って動いていくかという話だ。「わたし」はこの突き付けられた「現実」にどう向き合っていくのか、次の記事でまた見ていきたい。

次回で「故郷」については終われるかな、と思います。(長くなるようなら二回に分けます。)新学期が始まり、そろそろ更新も遅れそうですが、出来る限り間をあけないようにがんばります。

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