山本周五郎「経済原理」①
「作者の位置」
教科書では「経済原理」として掲載されているが、山本周五郎の代表作「青べか物語」からの抜粋である。「青べか物語」は、山本周五郎が20代の頃に一年間(作品の中では三年間ということになっている)、千葉県浦安市に滞在していたときのことを元に書かれた作品である。作品内では「浦安」が「浦粕」というふうに名前は変更されているが、登場人物や店舗は実際のモデルが存在する。
今ではディズニーランドが広がっているが、当時は漁師町で独自の社会を作り上げていた。そこに「部外者」としてやってきたのが作者こと「蒸気河岸の先生」である。
この作品の注目する点の一つは、すべて作者の視点で描写されているところである。作者が「浦粕の人たち」の行動や表情を描写し、その内面を推し量り、自分の内面を語る。特に現地の人たちを描く描写はとても細かい。「経済原理」では「少年たちはつばを飲み、みずばなをすすり、バケツのそばにいた一人は片足の親指で片足のふくらはぎをかいた。」と、少年たちの「緊張」を視覚による描写でよく表している。
はまぐりをケチってできるだけ悪賢く売ろうとする道端の漁師の描写では「やおら、すぼめた目でわたしを見上げた。」「彼は梅干しをなめたような顔つきで、はまぐり六個だけ選び分けた。」「自分の情けもろさに自分で腹を立てたように言った。」など、読者に笑いを誘うような細かい描写が続く。
作者からの視点で他者の内面を描く場合、このように視力を通しての描写が大事になる。あくまで語り手(作者)の想像、推測にすぎない他者の内面だが、そこから現れる表情や言動の細かい描写によって、読み手は疑うことなくすんなり受け入れられる。
実際に作者が「浦安」にいたのは1928年で、この作品が執筆されたのが1960年なので、現実の描写というよりは主題に合わせて誇張して描いているのかもしれない。しかし、作者にとっては「浦粕の人」たちの表情や言動は内面を物語るのにとてもわかりやすかったのではたないのかとも想像できる。
ところで、上手い「描写」とは、あくまで客観的な位置にいるからできるものである。一定の距離を置かなければ心情や一挙一動を細かく描写することはできない。この作品で作者は「浦粕の人々」と「わたし(作者)」を切り離した位置においている。それは前述したとおり、作者はこの地であくまで「部外者」の立場だからである。「わたし」が「彼ら」と本当の意味で交わることはない。その解りやすい文体の例として、「わたし」と「彼ら」の会話時のセリフの書き方の違いを挙げられる。「浦粕の人々」のセリフはちゃんと引用符(「」)付きで書かれているのに、「わたし」のセリフは引用されることが一度もない。
「経済原理」での少年たちと「わたし」の最初の会話部分を引用する。
「『蒸気河岸の先生だ。』と、一人が他の者にささやき、それからはなを横なでにしてわたしを見上げた、『――なんてっただえ。』
そのふなを売ってもらえないか、という意味のことをわたしは繰り返した。」
このように、少年たちのセリフは方言までしっかり引用されている。しかし、「わたし」の「そのふなを売ってもらえないか」は引用符が付かない。両者は確かに会話をしているのだが、作品内で作者は「登場人物」である「彼ら」と距離を置き、あくまで読者に対する「語り手」としての位置に収まっている。
これは「経済原理」だけではなく、「青べか物語」全体で一貫していることだが、特にこの「経済原理」ではこの「浦粕の人々」という共同体を成している『内側』と「わたし」という「部外者」である『外側』の存在を明白にしておく必要がある。
なぜなら、「浦粕の人々」は「内」に対しての態度と「外」に対しての態度がはっきり違うからである。
例えば漁師たちの描写されている分部を見ると、
「…河岸の道ばたで漁師たちが四、五人、むしろやおけを並べて、鯉や雑魚や貝類などを売っていた。それは『日銭』を稼ぐためのものであった。(中略) 他の土地から魚つりに来て不漁をかこちながら帰る客や、単純な遊覧買えりの客たちがあると、それはかなりうまいもうけになるのであった。」
と、いうように「浦粕の人々」は、「他の土地」から来たものや「客」たちのような「外側」の人間は利益を生む「商売相手」としてみている。しかし、これが「内部」のものに対しては違った顔をもつ。続きも引用する。
「わたしの前に、どこかのかみさんがやはり〇五(五銭)だけ買ったところ、一斗ますくらいの桶一杯分を渡したのを見ていたから…」
と、いうように「どこかのかみさん」という地元、「内側」の人間には破格の値段ではまぐりを提供する。
「浦粕の人々」の心情は単純明快である。「外側」の人間は「商売相手」であり、自分たちと同じ「内側」の人間には情があつい。
このようなところに「部外者」として転がりこんだ「わたし」はどのように内側の「少年たち」と接していくのか、次回は「わたし」の心理を追いながら、彼のいう「自分の大きな過誤」とは何だったのかを深めていく。
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