短歌① 正岡子規「くれなゐの…」

近代短歌

短歌① 正岡子規「くれなゐの…」

 

「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」

 

正岡子規は34歳という短い人生の中でたくさんの俳句、短歌、文芸論などを残し、日本の文学史に大きな影響を与えた人物である。正岡子規の俳句、短歌は教科書のなかで何度も出てくるが、中学生になって初めて出会うのは2年生で習うこの短歌である。

 

新しい春を迎えて、薔薇がまだ針と呼ぶにはあどけない小さな新芽を雨の中で震わせている。生まれたての弱弱しさと、その中に秘めている力強い生命力を愛情ある視点で描いた作品だ。

 

私は中学生のときにこの作品を習い、教師になって3年目ぐらいまで、この作品の薔薇は赤く「咲いている」ものだと思っていた。「くれなゐ」とは赤いという意味で、これは薔薇の赤い花を指しているものだと解釈していた。しかし、この「くれなゐ」は「薔薇」を修飾しているのではなく、「薔薇の芽」を修飾しているようだ。つまり、小さなまだ緑になっていない「赤い芽」を詠った短歌だった。文法的に考えれば確かに、「薔薇の芽」にかかっていると考えるのが自然だ。それに「薔薇の芽」を中心に据えた短歌の冒頭で「赤い花」を強調するのも不自然ではある。

 

今となっては納得できるが、中学時代、最初に持ったイメージはなかなか払拭できない。当時の教師がそのように教えたのか、自分が勝手にそう解釈したのかは覚えていない。ただ、授業参考書に、「…薔薇の鮮やかな赤・とげの緑・雨の水色。色彩も印象的である。」とあるので、教員になってからも勘違いは続いてしまったのは確かだ。

 

さて、この短歌は正岡子規が病死する二年前の作品である。脊椎カリエスとなり、ほぼ寝たきりで部屋から動けなくなっていた彼は部屋から見える庭の景色を写生することに時間を費やした。この短歌にも植物を細かく見つめる繊細な眼差しが表れている。

 

私は父を病気で亡くした。やせ細っていく身体や、減っていく口数、役目を果たさなくなっていく器官たちを側で見た。快活だった父からは想像もできなかった姿だった。周りの私たちにとってもその期間は恐怖だが、当の父は一体どんな気持ちであったのだろうか。そして、私の父よりも若く、才気に溢れた正岡子規が「死」に直面した時の絶望はどれほどだっただろうか。

 

「父の死」というのは、物語に大きな要素となる作品が多いが、私にとっても作品の読み方が変わる大きな要素となっている。その中でも、この短歌は一番印象が変わったと作品の一つだ。学生の頃は「きれいな短歌」とだけ思っていた。そしてよく三色ペンを使ってノートの端に雨に打たれた薔薇の絵を描いていた。(前述の勘違いのせいで薔薇は赤く咲いている。)しかし、父の死後、この短歌を詠んだとき、一つの風景が浮かんでくるようになった。それは以下のような風景である。

 

初春の肌寒い曇り空からしとしとと春雨が降っている。曇っているからうす暗い景色だ。痩せた青年姿の正岡子規が寝巻き(和服)に身を包んで、柱につかまって縁側に立ち、庭に植えられた薔薇をながめている。雨が降っていてうす暗いはずなのに、子規には薔薇の周りはぼんやりと白っぽく見える。ぼやっと暖かい光に包まれているような、その部分だけが優しくぼやけて見える。そしてそれを見ている子規の顔もとても優しく見える。

 

実際は薔薇の芽が見えるぐらいなので、ぼやけているのは間違いだとは思うが、私にとっては「なんとなくぼんやり光っている」ように見える短歌である。これは私が、死を目前にした子規の見た風景が、暖かく優しい光であったほしいのと、それを見つめる子規にも優しい顔をしてほしいからだ。そしてそれは勝手ながらそのまま私の父にも当てはめたいと思っている。私には、うす暗い病室で身体を満足に動かせない絶望や失意の中で、父もせめてなにか暖かい光を見つけていてほしい、と今になっては祈ることしかできないからだ。

 

正岡子規の作品は中3と高2で俳句を習うので、それらも今後紹介していきたいと思います。

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