夏目漱石「坊ちゃん」①

夏目漱石「坊ちゃん」

「坊ちゃんという語り手」

 

中学二年生で初めて習う小説が夏目漱石の「坊ちゃん」である。全文ではなく、坊ちゃんが教師になるために松山へと向かうシーンまでの少年期を習う。生徒たちとは歳が近いことと、「二階から飛び降りる」「無鉄砲さ」のインパクトもあって、印象に残りやすい作品だ。

 

この作品はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(catcher in the rye)」にとてもよく似ている。それは、物語を進めていく語り手が主人公の少年であるところだ。少年が起こる出来事を読者に向かって語っていくことで、物語が前に進んでいく。言い換えれば客観的な第三者の視点による描写がなされない。すべては「坊ちゃん」が経験したことであり、それに対する感情で作品はなされている。

読者である私たちは「坊ちゃん」の語りを読む。が、「坊ちゃん」が経験したこと、思った感情が全て(フィクション内での)事実として語られているかは保証されていない。(これを文学用語では信頼できない語り手(Unreliable narrator)と呼ぶ。)

例をあげる。作品内で下女である「清」が坊ちゃんに菓子や色鉛筆をくれるのに対して「なぜ、おれひとりにくれて、兄さんにはやらないのか」と聞けば「お兄さまはお父さまが買っておあげなさるから、構いません」と清は言う。それに対する坊ちゃんの感想は「これは不公平である。おやじはがんこだけれども、そんなえこひいきはせぬ男だ。しかし、清の目から見るとそう見えるのだろう」となる。つまり、「父は兄だけにお小遣いをあげていたのかどうか」という部分で「坊ちゃん」と「清」の見解が違う。実際どうだったのか、という事実は描かれないまま終わる。

逆に言えば、この部分でその「事実」は重要ではない。私たちはこの坊ちゃんの語りを聞くことで、「清が坊ちゃんを溺愛していたこと」と「坊ちゃんがそれを不審に思っていたこと」そして「坊ちゃんが(勘当するとまで言われるが)父親を絶対的な存在として尊敬していたこと」が読み取れる。

実際は父親が兄をえこひいきしていて、坊ちゃんに隠して渡していたかもしれない。坊ちゃんはただ幼かったからわからないでいたり、疑わずにいただけかもしれない。このように坊ちゃんは「語り手」として不確かな部分がある。

 

これは何も「知らないから」起こる不確かさだけではない。坊ちゃんが知っていて「嘘」をついていることだってある。坊ちゃんが松山に行くことになった場面を引用する。

「たいへんな遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると、海浜で針の先ほど小さく見える。どうせろくな所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるかわからん。わからんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒くさい。」

ここで坊ちゃんは「わからんでも困らない。心配にはならぬ。」と言っているが、いちいち地図で場所を確認したり、小さいことを確認して、どんな町で、どんな人が住むのかを考えている。(考えているから語っている。)そして「少々面倒くさい」と歯切れ悪く言い捨てる。

とても、困らない、心配していない、心情とは読めない。こんなことを言うと、坊ちゃんには失礼かもしれないが、「とても不安で、東京を離れるのを寂しがっている」としか読めない。当たり前である。没落しているとはいえ、「坊ちゃん」として下女付きの家で育った東京の少年が、松山に一人行くのを不安がらないはずがない。坊ちゃんは「困らない、心配にならない」と語り手として自分の心情を読者に「嘘」を語っている。その理由は簡単である。坊ちゃんはという少年の「強がり」だ。

冒頭で「親譲りの無鉄砲」と自分のことを評し、家族から「乱暴」者と規定されてきた彼が、「寂しい、不安だ」などとはキャラクター上言えないのである。むしろ、そのように乱暴に振舞うことすら彼の「強がり」である。これは当然といえば当然だ。彼が家族から孤立していたことにも関係しているだろうが、そもそも(特にこの時代)「少年」が自分の弱さや、不安をさらけ出して語ることはほとんどない。そのような角度で読むと、「坊ちゃん」は絶対に自分の弱さを語り手に直接言いはいないが、確かにほのめかしていることに気が付く。それに気が付くと、坊ちゃんは孤独で、不安で、けれどもそれを「父親譲りの無鉄砲」で乱暴にこらえてきたいじらしい少年だということが見えてくる。(だから坊ちゃんは、父親はえこひいきしないと思っている。無鉄砲でまっすぐで感情的な部分を、自分と父親をつなぐ唯一の共通点とみて、父親と一種の繋がりを持とうとしているから。)

 

この「少年」という語り手は(「ライ麦畑~」でもそうだが)、事実よりも、「語り手自身」のことに読者の目を向けさせる。語っていることが「嘘」だろうと、本当だろうとどうでもよい。語ることで、語り手自身のキャラクターを読者に突き付ける。そんな眼前の語り手に読者は共感し、同情し、愛さずにはいられなくなる。

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