生徒から「本を貸してください!」と言われるのはとても嬉しい。けれども、何を貸すのかとても悩む。せっかくだから良い本を貸したいし、読んで「良かった!」と言われたいし、正直な欲をいうなら「人生が変わるきっかけになった!」まで言われたい(笑)。なかなか難しいとはわかっていても、文学作品を扱っている手前ついついそんなことを夢みてしまう。
しかし、中学1年生に本を貸すとき、教師になった当初はだいぶ迷った。自分が中学1年生の時、どんな本を読んでいただろうか。今の生徒はどのような本を好んで読むのだろうか。と、いうことを考えた。私が中学生の時に読んでいた本は、小学生の頃からの続きで「大草原の小さな家」(ローラ・インガルス・ワイルダー)といった英米児童文学、もしくは「ブギーポップは笑わない」(上遠野浩平)といった流行りで読んでいたライトノベル作品だった。高校になってからは、池波正太郎の「剣客商売」シリーズ、というなかなか高校生らしからぬ小説を読んでいた。それらを貸すのは生徒たちの時代には「古い」気がしたのと私自身の恥ずかしさとで貸す気になれなかった。
生徒たちはと東野圭吾や、現在流行しているドラマの小説化作品を読んでいる。ところが、私はそういう流行りを追うのが苦手である。実はいまだに東野圭吾作品を一つも読んだことがない…。(読みたいという気持ちはあるのだが…)
結局迷いに迷って、生徒たちにどんな本が好きかを尋ねては生徒たちが好きそうな本を買って貸していた。サッカーが好きな生徒には、長谷部誠選手の「心を整える」なども貸してみた。しかし、それは私の興味がない作品ばかりになっていった。
私は生徒に合わせよう、という気持ちからいつの間にか「自分の本」を貸せなくなっていたのだ。これでは私に本を借りにきた生徒たちにとって何の意味も無いし、生徒たちにとってとても失礼である。
私の一番好きな本はアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」だ。ハラハラしながら読んだ時のことは今でも忘れられない。生徒たちにもとても良い本だ、と紹介はしていたが貸していなかった。私自身、読んだのが大学生の頃なので、「中学生には難しい」という気持ちがあった。せっかくなのでちゃんと理解できるようになってから読んでほしい、という勝手な気持ちだった。しかし、調べてみると早川書房から「そして誰もいなくなった」(クリスティー・ジュニア・ミステリ1)と、子供向けのものが出版されていたのだ。
私はこの本を生徒たちに貸してみた。すると、「とても面白かった」、「犯人が最後まで全くわからなかった」、と感想をくれた。そして「他の作品も読みたい!」と言ってくれた。(さっそく同じシリーズの「オリエント急行の殺人」を貸している。)私自身も好きな作品なので、「登場人物の長い名前と職業が覚えにくい」などと生徒たちと共感し会話も弾んだ。
結果的に私は生徒たちの限界を勝手に作り、軽い存在で見ていたのだ。生徒たちは本を自分なりに読んで、自分なりに学び、答えを見つける。本と出会うのに早いも遅いもない。私が現在、中学生、高校生向けの小説からたくさんのことを学びなおしているように、生徒たちも生徒たちの目線で本を楽しみ読むことができる。(生徒がよみやすいようにする工夫はもちろん必要だが。)だから私は自分の好きな本を勧める。自分が本当におもしろいと思う本を勧める。生徒が気に入ったならそれで良いし、気に入らなくても本を読む経験を一つ積ませた、と思えばいい。それくらい「教師だから」という前に「一人の人間」として、生徒に自分の「好きな本」を貸すことはとても重要だ。
よく考えれば生徒たちからも本を貸してくれるが、彼らは「教師に合う本」などと気をつかうことはない。けれども毎回、私なら絶対に買わないような本を貸してくれるのでありがたいと思う。これからもお互いの目線で、お互いが好きなものをちゃんと読み、それぞれ読書の幅を広げるきっかけになればよいな、と思う。
ところで、生徒によっては貸してから戻ってこない本もある。現在も3冊ほど、音沙汰がない(笑)。大事な本たちだ。返すまでしつこく声をかけていくしかないだろう。
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