夏目漱石「坊ちゃん」②

夏目漱石「坊ちゃん」

「坊ちゃんと清」

 

坊ちゃんの家付きの下女で、坊ちゃんのことを無条件にかわいがる「清」。私はおばあちゃん子であったためか、「清」のような老女にはついグッと感情移入してしまう。(『銀の匙』(中勘助)の「伯母さん」にも弱い。)

 

「清」は結婚もしておらず子どもがいない。「瓦解(明治維新)の時、零落した」家の出身だが、当時の女性らしく教育に触れることなく、奉公を始めたのだろう。奉公している「家」が絶対であり、「家」を守り繁栄させることに絶対の価値を置いている。彼女は家の中で一番「坊ちゃん」をかわいがる。これはもちろん少年に愛情をかけているのもあるが、彼が清の中では次の奉公の対象である「家の主人」と認識していたのでもある。清は坊ちゃんに言う、「あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続できまるものを」と。そして「おれ(坊ちゃん)がうちでも持って独立したら一緒にいる気でいた。どうか置いてくださいと、何べんも繰り返し頼んだ」とあるように、常に坊ちゃんを「主人」とみなし、彼に奉公することこそが自分の存在価値だと信じている。

 

彼女はそうとしか生きられない。他に人生の価値を知らない。坊ちゃんが「昔風の女」と指摘するように、猛スピードで近代化し、「家」ではない新しい価値が誕生し、人々が新しい生き方を模索する時代についていけず、取り残された老婆だ。

しかし、それは「坊ちゃん」も同じである。坊ちゃんを評するときによく「江戸っ子気質」という言葉が使われる。彼は喧嘩っ早く、まがったことが嫌いで、正義感から暴力をふるうこともある。当時の時勢からすれば、「実業家になるとか言って、しきりに英語を勉強」する坊ちゃんの兄の方が流行に沿った生き方である。

 

だからこそ、清は坊ちゃんを特にかわいがる。兄よりも『あなたはまっすぐでよいご気性だ』と坊ちゃんを褒める。しかし、この悲しいことに坊ちゃんは時勢についても、清よりは理解していた。彼は清が望むようなものにはなれない、と歳をとる毎に悟っていく。最初は清に頼まれるままに「なんだかうちが持てるような気がして、うん置いてやる」と言っていたが、結局、何の考えもなしに、大学を卒業して松山に教師として赴任することになる。赴任する三日前、そのことを清に告げにいくシーンは何とも言えない悲哀が漂う。清は「北向きの三畳に風邪をひいて寝ていた」と哀れみを誘う描写から始まる。しかし、坊ちゃんが来たのを見て、「坊ちゃん、いつうちをお持ちなさいます」と尋ねる。彼女にとって、坊ちゃんを主人とした家に奉公することがただ一つの生き甲斐だからだ。しかし、それを坊ちゃんは裏切らざるを得ない。「卒業さえすれば、金が自然とポケットの中に沸いてくると思っている。そんな偉い人を捕まえて、まだ坊ちゃんと呼ぶのはいよいよばかげている」。坊ちゃんが言った事実に対して、清は「非常に失望したようすで、ごま塩のびん(白髪交じりの髪の毛)の乱れをしきりになでた」。このシーンは清がもう老いていること。坊ちゃんの成長と同時に、清の未来が狭められていることが強調される。そして、この描写はすなわち語り手である坊ちゃんが「目にしたもの」である。彼も清の老いを実感している。清の失望と同時に、坊ちゃんの罪悪感や後悔も大きくなる。自分を唯一信じてくれていた者を裏切っているからだ。その後の「夏休みにはきっと帰る」や「何をみやげに買ってきてやろう」という気づかいも、清が「あまりに気の毒だから」とあるが、きっと坊ちゃん自身の自責の念から来ているものだろう。

 

しかし、主人と下女の関係が成立しないと解っても、清は坊ちゃんを見送る。それは、強がりな坊ちゃんが珍しくはっきり認めているように「親身のおいよりも、他人のおれのほうが好きなのだ」からだ。別れのシーンで、清は「目に涙がいっぱいたまっている」。しかし意地っ張りの坊ちゃんは「泣かなかった」。清が愛する江戸っ子気質の坊ちゃんがここで泣けないのは当然だ。「しかし、もう少しで泣くとこであった」、坊ちゃんの精一杯の強がりだ。引用する。

「汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、ふり向いたら、やっぱり立っていた。」

 

私はこの「やっぱり立っていた」がとても好きだ。「やっぱり」というところから、清が絶対に最後まで見送っていることを坊ちゃんが当然のように信じていたと解る。身分を越えた絶対的な信頼が二人の仲に存在している。坊ちゃんは少年の頃、清からの愛情を「少々気味が悪い」と評したこともあるが、しっかりとその愛情を理解して受け取っていた。家族の中でないがしろにされ、強がることで自分を保っていた坊ちゃんにとって、清の愛情は唯一無二のものであった。清にとって坊ちゃんが「生きがい」なら、坊ちゃんにとって清は唯一の「よりどころ」だったのではないのだろうか。この作品はこれからも続き、坊ちゃんの教師生活が話の中心となる。しかし、清の存在は坊ちゃんの中で大きな存在として登場する。慣れない土地で見る夢に清は登場する。そして、小説のラストも清が飾る。そもそもこの小説のタイトルは「坊ちゃん」である。「坊ちゃん」とは清の呼び方である。この作品の根底にあるのは清という時代遅れて愚かな老女の愛である。

 

そんな時代に置いてきぼりをくらった坊ちゃんと清を、私も、今までの読者たちもきっと愛してきた。そういう所から、この作品には夏目漱石の近代化に対する不安と、当時の読者の共感が読み取れる気がする。

コメント

  1. 伊藤びー助 より:

    40年以上前に井上ひさしが「だから」を日本文学の中で一番美しい接続詞と呼びたい、と教えてくれたのにその意味がこの頃になってやっとわかりました。

    • araiguma より:

      「坊ちゃん」一番最後の「だから」ですね。最後まで坊ちゃんは清に対して素直に多くを語りませんが、その代わりにいろんな感情を「だから」という接続詞ひとつで表現しているのは見事だと思います。スッと胸に落ち着くラストですね。

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