近代俳句

未分類

「芸術とは何か」

 俳句の授業は中級部と高級部に一度ずつある。中級部では、有名な句を読み、俳句の表現を楽しむことに重点を置いて授業を行う。高級部で習う近代俳句では、俳句にもさまざまな種類があること、時代や人の思想によって「芸術がなにか」という考えが違うということにも言及する。なぜなら、近代俳句はとにかく「派閥」でまとめられるからだ。

 教科書に紹介されている俳人を、大体の派閥で分けると以下のようになる。(専門的に学んだわけではないので、間違っている部分があれば、ご指摘お願いいたします。)

1.正岡子規が提唱した「写生」

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)

見たままを句にする。平安時代の紀貫之のように、言葉で美しく飾るのではなく、江戸時代の与謝蕪村のように、一枚の絵、写真のような俳句を目指す。リアリズムを追求する文学。

2.ホトトギス派「客観写生」

「遠山に日のあたりたる枯野かな」(高浜虚子)

正岡子規の後を継いで、弟子たちが築いた俳句の流派。徹底した写生と、字数や季語などの「形式」にこだわる。「俳句」を体系化された「芸術」として見ている。

3.馬酔木「主観写生」

「スケートの紐結ぶ間もはやりつつ」(山口誓子)

写生を重視するが、その写生によって、人の感情も表現する。同じ景色を見ても、その人のその時の感情によって、目の付け所が違う。絶対的な客観性はないので、人の感情が読み取れる作品を目指す。

4.人間探求派 ※実生活重視

「松葉牡丹(まつばぼたん)玄関勉強腹這いに」(中村草田男)

草田男の「万緑の中や吾子の歯生えそむる」も有名。生活から生まれた一コマを俳句として残す。現代の「プレバト」や「お~い、お茶新俳句大賞」などでも主流でとりあげられ評価されやすい。

余談だが、私はこの「玄関勉強腹這いに」の部分に共感し、生徒たちに例として紹介したのだが、生徒たちには共感を得られなかった。「え、暑いときに、玄関というか、廊下みたいな、涼しい床に寝そべって勉強したことないの?」と尋ねたが、生徒たちは「ない」そうだ。それもそうか、今の子供たちはちゃんと自分の部屋があって、そこに冷房も完備されているのだ……。私はあの暑い夏に感じる木の冷たさが好きだった。そして大体、勉強中にそのまま寝てしまっていた(笑)

5.新傾向俳句 ※無季、不定型

「君を待たしたよ桜散る中を歩く」(河東碧梧桐)

これをあの「正岡子規」の弟子である「河東碧梧桐」が作ったという事実が面白い。「高浜虚子」が俳句の「形式」を重視したのに対し、「表現」を優先させたのが碧梧桐だ。表現したいことがあるのなら、形式にこだわるひつようがないという主張だ。碧梧桐の有名な「赤い椿白い椿と落ちにけり」も字余りをしている。五・七・五にこだわらず、自由に表現しようという姿勢がみられる。

それにしても、「君を待たしたよ桜散る中を歩く」が発表されたときの高浜虚子の気持ちが知りたい(笑)。 同じ正岡子規の弟子でありながらも、この二人が全く違う道に進んだ。子規の想いを受けて、形式美にこだわった虚子。俳句の形式のこだわらない新しい表現法を開拓した碧梧桐。全く違う芸術を提唱したが、それでもお互いに認め合って議論を交わし続けた。碧梧桐が亡くなった時、虚子は「たとふれば独楽のはじける如くなり」という追悼句を作っている。この二人が良きライバルでいたことで、後世の「俳句表現」はより豊かに広がっていった。

6.自由律俳句「自由な韻律」

「まっすぐな道でさみしい」(種田山頭火)

より形式にこだわらない自由律俳句。しかし、なんでも自由に詠めばいいという訳でもない。まず読んだ時のリズムの良さが大事だ。五・七・五にはない、独特なリズムが楽しい。そして、短いからこそ、強い感情が込められていないと、印象に残る作品にはならない。

自由律俳句は高校生に人気である。いつもと違う型破りな俳句が面白いという。そして、自由律俳句づくりにも挑戦するのだが……。毎度「夜のトイレは怖い」だの「こんにちはこんばんは」だの、なんだか評価しづらいのが提出される(笑)

 

と、大体これくらいのまとめで紹介しているが、調べれば調べるほど、意外と、このようにキレイに派閥に分かれているわけでもないのだとわかる。例えば、正岡子規も主観の入ったおかしみ(滑稽味)のある俳句を詠んでいる。種田山頭火も自由律だけでなく、五・七・五の俳句も詠んでいる。彼らなりの美学をもちつつも、気楽に日常の一コマを「俳句」として残した句もあるだろう。また、人生の中で、その時によって「良い」と思うものは変わってく。様々な派閥がお互いに影響しあいながら、今日まで「俳句」という文化を繋げてきた。

この感覚は、現代の自己表現の形に通じるところがあると思う。例えば、SNSのインスタグラムに投稿するのは、その投稿者が「良い」と思うものだ。それが美しい景色である人もいるし、コンビニの新しいスイーツである人もいるし、友達との楽しい笑顔の写真である人もいるし、大事なぬいぐるみの写真である人もいる。だからといって、必ずそれだけを投稿する人は多くないだろう。「良い」と思ったことを「良い」と思った作品として残す。そして大体似たような人たちが「界隈」を作っていく。形式、格式は違うが、俳句も同じように人々の生活記録であり、自己表現の場である。

 さて、俳句制作についても、もう少し書きたい。高級部3年生の選択日本語授業で、生徒たちが俳句作りをしたいというので俳句を作らせている。毎週2句ずつ作るということをさせているが、これがなかなかよい句になってきたのだ。最初は何を言いたいのか分からない俳句や、季語もなにもない芸術性の低い俳句ばかりだったのだが、少しずつ良くなってきている。やはり継続は大事だ。また、面白いのは同じように指導をしても(それしかできないので)、生徒ごとに個性が出てくる。キレイな景色を描写する生徒、日常の一コマを具体的に描く生徒、口語をつかって印象的な句を作る生徒……。生徒達には「得意分野」をまず伸ばすよう伝えている。多分、俳人たちもこんな風に作りながら自分のスタイルを完成させたのだろう。

 俳句を作るにあたって、一人の生徒が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺、なんて僕でも作れますよ!正岡子規だから有名になったのでしょう?」と言ってきた(笑)。じゃあ、それくらいの俳句を自力で作ってみてほしいものだ(笑)。確かに、この俳句は、生徒たちからみれば「簡単そう」に見えるのだろう。しかし、この生徒はそもそも根本的に間違った見方をしている。生徒たちはとにかく「名作」を作ろうとする。「天才的な名作」は才能のある人間から、ポロっと生まれるものだと思っている。そして、自分にもそのような名作が作れると、思っている。(大人でも俳句を作り始めはみんなそう思うだろう)

しかし、正岡子規は一句で有名になった俳人ではない。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の俳句だけが、「名作」としてたたえられているわけでもない。彼は俳句が好きで、生涯、俳句のことを考え続けた。そしてほぼ毎日50句ほどの俳句を作った。病に倒れ、病床にいるときも、亡くなる直前まで俳句を作り続けた。そして34歳という短い人生で2万句以上を遺した。その中で、教科書で習うのが小中高とおして、やっと5句あるかないかだ。

 まだ数句しか作っていないのに、正岡子規のような作品は作れないし、一句の名作だけで名が後世に残ることもない。この事実を生徒に言うと納得してくれたようだ。その後、毎週真摯に俳句作りに向き合っている。(この生徒は特に情景が見えるような俳句作りをがんばっています。)この生徒も続けていけば、いつか、本当に良いものができて、彼の名が残るかもしれない。

 いつも以上に徒然な文章になってしまいましたが、俳句は鑑賞も作るのも好きです。しかし文章にして改めてまだまだ知らないことが多いなと思いました。次回は石牟礼道子さんの「もういっぺん人間に」について書きます。(辛い……)

コメント

タイトルとURLをコピーしました