加藤周一「スペイン旅情」
「スペインは誇りの国」
前回「次は近代俳句」と言っていたが、少し戻って、加藤周一さんのエッセイ「スペイン旅情」について書きたい。このエッセイが高級部1年生の一番初めに習う教材である。
この作品は、日本を代表する知識人、加藤周一がスペインを旅して思ったことを書いた短い文章だ。
彼はスペインを「騎士道精神」がそなわった「誇り」の国だと表現する。彼がスペインの滞在中、一度も勘定のごまかしに合わなかったことからも、スペインの人たちの多くが不正を嫌い、誇り高く生きていることがうかがえる。また、スペイン人は母国語に対しても強い誇りを抱いていると筆者は主張する。スペインで宿屋の給仕にものを頼むときは必ず「スペイン語」で頼まなくてはならない。しかも「あなたのスペイン語はよくない」と、間違いを指摘されたそうだ。観光客なのだから「スペイン語が上手くない」のは、当たり前なのだが、それを親切心から直してくれたそうだ。(まるで、関東人がおかしな関西弁を使っていると、がまんできずにツッコミを入れる関西人のようだ。)
自国の言語に誇りをもつことは当たり前のようにも思えるが、果たして日本ではどうだろうか。日本人は日本語よりも、英語を大切にしている節がある。こういうと語弊があるかもしれないが、日本人が外来語(カタカナ語)の表現を好む傾向は、様々な場面で見ることが出来る。例えば、近頃ビジネス用語として英語から借りて使うようになった言葉は多い。「コミット」「エビデンス」「フィードバック」等。また、小池百合子東京都知事が「都民ファースト」をはじめとして、発言にカタカナ語が多いことも一時期話題となった。それにスーパーで並べられている商品はほとんどがカタカナ語である。シャンプーの商品名など、ほとんどが意味もわからない外国語で書かれている。「TSUBAKI」や「HIMAWARI」もなぜか、アルファベットだ。教育現場でも「英語」科目の存在感は大きい。英語ができる=賢い、という感覚は生徒たちの中に少なからずある。保護者達も、朝鮮語、日本語よりも「英語」教育への関心が高い。「英語はかっこよくてオシャレで、話せると便利だ」という感覚は社会全体に広まっている。
このような日本の感覚は、西洋、アメリカとの関わり方の歴史に関係している。筆者が、「外国人の顔さえ見れば、自分の国の言葉(それが日本語であろうと、イタリア語であろうと、ドイツ語であろうと)で話すまえに、いきなりアメリカの兵隊から覚えた言葉で話しかけてくる人間を、私は好まない。」と、言及しているように、第二次世界大戦後のアメリカの影響は強い。生徒たちも海外からの観光客=英語が母語という感覚を持っている。外国人を見れば「hello!」と覚えたての英語で無邪気に話しかける中学生は多い。
しかし、世界全体を見れば「英語」の普及率は、実はそれほど高くない。アメリカ、オーストラリア、イギリスといった国では当然英語を使う。しかし、アメリカ英語とイギリス英語では、発音や文法などに違いがある。イギリス人は、アメリカ英語より、自分たちの言葉こそが本物という意識が高いそうだ。また、イギリスの中でも、ウェールズでは英語とウェールズ語を並べて掲示しているところが多いし、心情的にもウェールズ語の方を、民族の言葉として大事にしている。また、アフリカ大陸の一部、カナダ、アラスカ、インドなども英語を公用語としているが、主要言語ではない。ヨーロッパでも多くの国でも、実際に英語でコミュニケーションをとれる人は、人口の半分以下だそうだ。日本からの留学生がフランスで「フランスにいるのだから、あなたはフランス語を使わなければならない」と、言われたという話を読んだことがある。当たり前のことなのだが、フランス人は教養として英語を知っていたとしても、フランス語で生活しているし、英語よりも、フランス語に誇りを持っている。他の国でもそうだ。国の言葉、民族の言葉に対しての誇りは「英語」よりも強い。日本では「英語」をあまりにも崇拝しすぎているせいで、逆に視野が狭くなってしまっているように感じる。
さて、このタイミングでこの教材について書きたくなったのは、現在の世界情勢を見ながら思うことがあったからだ。アメリカ、イスラエルによるイランへの軍事攻撃。これに「一方的な国際法違反」だと強く非難し、米軍基地の使用を拒否したのが、スペインであった。私はスペインについて詳しくは知らない。スペインも他国への侵略の歴史を持つ国であり、(他の国がそうであるように)全てが正しい国ではないだろう。しかし、スペインが真っ向からアメリカを批判した姿勢は、筆者の描いたスペイン人の姿と重なる。国際世界でも、彼らは「誇り高い騎士」としてふるまったのだ。
そして、自分の国の言葉より、英語を特に崇拝してきた日本政府が、アメリカを批判せず(たくさんの市民団体や、野党が反対声明を出しているが)、アメリカからの派兵要請に対して検討していることを、存命であれば、筆者はどのように見るのだろうか。(日本国民が誇りを持って、その道を選ぶのであれば、何もいうことはないのだが)
わが校では「言語こそ民族」という言葉をよく使う。今までは、「民族」というものは、「言語」という同一性を持つ共同体だ、という意味として捉えていた。しかし、「言語」(母国語にしろ、外国語にしろ)との向き合い方が、そのまま「自己と世界」の関係に反映されているのだと、この教材と昨今の世界情勢をみて改めて思うようになった。どの言語だって、それぞれの「想い」が込められている。自国の言語に誇りを持ち、さまざまな言語を尊重できる。そんな人間に(そんな民族の一員に)なりたいと思う。
さて、急に「スペイン旅情」について書きましたが、次は予定通り近代短歌について少し書きます。

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