石牟礼道子「もういっぺん人間に」

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「もういっぺん人間に」①

「水俣病は何を破壊したのか」

 石牟礼道子さんの『苦海浄土‐わが水俣病』からの抜粋だ。天草から「坂上茂平」の後妻として水俣に嫁いできた「坂上ゆき」が、まだ名前もなかった「水俣病」を発症し、原因不明の症状に不安と恐怖を感じながら亡くなり、大学病院で解剖されるまでが描かれている。

まず生徒に尋ねる。「君たちは日本で暮らせて幸せか?」

たいていの生徒は、生活面は幸せだと答える。日本では食べるものや綺麗な水に困ることはない。文化芸術の水準も高い。コンビニやスーパーに行けば物もあふれている。

つまり、「便利で発展している日本」に暮らせて幸せだ。この点について異論を唱える生徒はいない。

さて、難しい教材だが、いくつかのテーマに焦点をあててみていこう。

一つ目は、水俣病が人の命を奪っただけでなく、「共同体」を破壊したということ。「坂上ゆき」は漁師として海が好きであったことがよく解る。それはただ美しい海というだけでなく、仕事場としての厳しさも知っている。それでも彼女は生命をはぐくむ豊かな海が好きであった。そして「ゆき」には漁師としての誇りがあった。そしてそれは「ゆき」だけではない。海は村人を繋いでいた。「おーい、魚のたおるるぞうー。」という網の親方の呼び声に応じて、村中が漁へと走りだす。

「灯と灯は呼び合い漁師たちの声は一つになる。『えっしんよい。えっしんよい、えっしんよい、えっしんよい』調子は早くなり、暗い海のすみずみをたぐり寄せて、しぶきの中で筋くれた皆の手がそろう。」

 ここで描かれるのは漁師たち、村人たちの団結だ。井上ひさしの『ナイン』でも少し書いたが、人は集団で同じことに挑んだ時、大きな達成感と仲間意識、そして自分を含む、そのチームに対する「誇り」を持つ。水俣の村で、漁師たちは強い共同体を成し、自給自足していた。当然、漁が上手くいかず、貧しい生活もしたであろうが、それでも助け合いながら、漁師としてのプライドを持ってたくましく生きていたはずだ。

 この部分は、生徒に体育祭の時のことを想起させる。集団で本気で走り、応援して、そして得た勝利の誇らしさは理解しやすい。「海」がそういう場であったことをまずとらえさせる。

 そして海での漁は、彼らにとってもう一つ大きい意味があった。

「網の中の魚たちもこたえる。こたえる一匹一匹の尾や頭のはねぐあいまで、網の重みで漁師たちにはわかるのである。なにしろ海はいつも生きていた。」

 彼らは大きな海と常に対話をしていた。大きな自然の中で生かされている命であることを本能的に知っていた。今ではあまり感じることは少ないが、「ジブリ映画」などをみると製作者たちの伝えたい気持ちは解る。人間が自然の一部であるという事実の恐ろしさと心強さ。都市に住んでいると、どうも自然は人が管理できるもの、という錯覚に陥るが、本来はそうでない。

 新聞の記事でとあるマタギが「マタギの世界では、クマに出会う人は『幸運な人』と言われていた。それが今はクマに出会ったら『不運な人』。食べ物がなくて人里に下りてきたクマを仕留めるなんて、誰がうれしいものか」と言っていた。自然と共に暮らす人は、自然、命への敬意がある。水俣の人たちも海に生かされ、海と共に命の大切さを、全身で知っていたのである。

しかし、水俣病は海を壊した。漁をする場所を壊した。漁に出る人の命を、身体を、脳を壊した。村人を疑心暗鬼にさせ共同体を破壊した。ただ人の命を奪っただけでない。自然を含む社会まるごとを壊したのだ。

 二つ目は「未知の病」であったということ。私たちは「インフルエンザ」や「コロナ」にかかっても、(たとえ重症化して命の危険があったとしても)原因はわかる。対処法もわかる。家族がかかった場合も、準備すればいいものがある程度わかる。初めて経験したコロナ禍を思い返してみれば、確かに不安はあったが、原因がウイルスだということは最初から解ってしたし、「接触を避ける」という対処方法も解っていた。

しかし、水俣病は原因も何かも解らなかった。そして「栄養不足」を指摘され、より魚を食べた。家族たちはより栄養を、と思い大きく肥えた魚を選んで食べさせた。「生物濃縮」という現象など知るよしもなく……。

その結果、「ゆき」は大きな町の病院に通うのをためらう。

「彼女はまた病院で栄養失調などと言われては、じいちゃん(茂平)にすまないと思ったのである。それにじいちゃんのかせぎは、自分が舟に乗れなくなってから、ほとんど金になっていない。」

 このような細かい心理まで書いているところが、水俣病を描いた「小説」として非常に価値が高いと思う。近場で漁にいけない漁師たちの生活は苦しい。健康な働き者として、後妻として嫁いだ「ゆき」が病院に行かなかった気持ちが痛いほど解る。

 そして、この未知の病は村の団結を崩していった。健康なものは発症者を「おかしくなった」「だらしなくなった」と白い目で見るようになった。そして「伝染する」という間違った知識によって、村八分にされた事例や、地域ごと忌避され、ひどい偏見を受けた事例もある。患者やその家族は発症したことを申し訳なく思い、自殺する例もあった。コロナ禍での発症者に対する誹謗中傷もひどかったが、より村社会が強かった分、発症者に対する偏見はすさまじかったであろう。

それにしても、さきほどから「未知な病」と表現しているが、この表現はおかしい。まるで自然発生した病であるかのように聞こえる。そしてずっと「未知」であったわけでもない。そうでないからこの「水俣病」は恐ろしい。

三つ目のテーマは「日本の発展と便利さ」だ。「水俣病」が出来た経緯は、「チッソ」が1932年から海水に工場排水として無処理のメチル水銀を垂れ流したからだ。原因は遅くみつもっても1950年代には解っていた。しかし工場での排水が止まったのは1968年だ。その理由の一つは会社が利益のために生産を止めなかったということ。二つ目は高度成長期の日本が、国の発展のために止めなかったということ。1964年に東京オリンピックが開催され、1970年には大阪万博が開催されている。新幹線が開通され、高速道路が整備された時期だ。日本が戦後復興し、一国家として華々しく世界に認められようとしている時期だ。水俣病はそれと同時に生まれた。

NHK取材班『戦後50年その時日本は 第3巻 チッソ・水俣/東大全共闘』から引用をしておく。

「水産庁をかかえる農林省からの出向者は、排水を止めるべきだという主張もしていた。だが汲田は、通産省の官房に毎日呼び出され、強い指示を受ける。
 『「頑張れ」と言われるんです。「抵抗しろ」と。止めたほうがいいじゃないですかね、なんていうと、「何言ってるんだ。今止めてみろ。チッソが、これだけの産業が止まったら 日本の高度成長はありえない。ストップなんてことにならんようにせい」と厳しくやられましたものね』

 結局、日本という国家は、人の命よりも発展を選んだ。経済成長を選んだ。

 私はこれが今でも「日本国家」の本質であると思っている。その道を選び、選んできた国だと思っている。

 生徒たちに「チッソ」が今でも大企業であることを伝えると、非常に驚かれる。このような罪を犯して、倒産していないのかと。責任は問われなかったのかと。それはそうだ。たくさんの人命を確かに奪っているのだから。

 私は生徒たちに「チッソにつぶれてほしいと思っている人は、今すぐスマホを叩き割ってください。」と伝える。スマートフォンの液晶材料を開発生産しているのがチッソなのだから。当然、そうできる生徒はいない。私もできない。しかし生徒たちにこのような選択肢をつきつけなくてはいけないこの社会に憤りを感じる。そして叩き割ることを選べないこの社会に憤りを感じる。私たちは非常に水準の高い便利な国で生きている。それは事実だ。しかし、「発展」の本質は見失ってはいけないし、便利さを享受しながらも、この怒りと矛盾は無くしてはならない。

 私は「便利」という言葉とは違う意味で「豊」という言葉を引き合いに出す。日本は「豊」であるか、という質問に対する生徒の答えを紹介して、この記事は終わろうと思う。

「日本は豊ではないと思います。私はこの前先生に同じ質問をされたときに日本は豊だとおもいますと答えました。今の日本は他の国にくらべるとまだ不自由なく暮らしている方だと思っていたからです。ですが、水俣病を習って日本に対する考えが変わりました。なぜなら、日本は国民のことよりも日本の経済成長のことを考え国民のことを見殺しにし、今でも苦しい思いをしている人もいるのに深刻に受けとめず、不十分な補償をしているということを知ったからです。今も複雑な思いが残っています。今回の授業を通して私は日本の政治について関心を持ちニュースを見るようになりました。」

  この教材は(書くのが辛いので)1回だけの記事で終わろうと思っていました。無理でした。できる限り冷静に書くことを務めましたが、感情が先走ってしまいます。どうか温かい心でもう少しお付き合いください。

追記

 この記事を書いていて、「水俣病」を「病」と表現するのが正しいのか、と気になった。病気と書くと、不運にもかかってしまった、という印象が強いな、と。「水俣病」に関していえば、「殺人」と表現してもよい内容では? と。英語で「公害病」を探すとpollution diseaseだそうで。そのまま「公害病」。うーん、腑に落ちない。

そこで調べた結果、支援団体などでは、単一の病気ではなく、社会・行政の動きも含め「水俣病事件」という表現を徹底しているようだ。他にも「病」の一語に押し込めることへの批判から「事件」と言い換える学者たちも多い。主治医として患者によりそった原田正純医師は「極めて社会的、政治的、経済的な水俣事件を医学に独占させ、医学に丸投げしたことが間違っていた」と強く指摘。医学では解明できない構造的犯罪であるため「水俣学」を立ち上げた、という記事も出て来た。

 なるほど、いや、私の知識不足。調査不足だ。しかしこの記事を書いて、初めて「病」という名称に違和感を覚えることができたので良かった。こういう言葉への解像度はどんどんあげていきたい。

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